最近やったことまとめタイム

すみっコぐらしの映画を見ました(微ネタバレあり注意)(本編とは無関係です)

2018年11月、日本に衝撃を与えたすみっコぐらしの映画も今回で第3弾となりました。あまり詳しくは触れませんが、すみっコたちにぬいぐるみ作りという労働をさせ、ノルマを課し、個々人の働きを評価し、少しサボったり作業効率が落ちていると逐一アナウンスが入る、、、というような現代社会の闇にすみっコたちが挑む問題作でした。すみっコぐらしは基本的に他者からの評価や人目を避け自由な(あるいは自由でいようとする)個々のあつまりとして成立しているキャラであり、そんなすみっコたちをナチュラルに労働やノルマ、ルールで縛る展開になったのがあまりにも恐ろしかったです。でもラストはすみっコぐらしらしいあたたかさで泣けました。そしてもちろんすみっコたちは最高に可愛くて癒されました。
映画の後はコラボカフェに行き、ファクトリーでやってるすみっコぐらし展にも行き、多量のすみっコぐらしを摂取したので、ここから卒研がんばるぞ!!

キャラづくり、これまでのあらすじ

学会で発表もしましたが、これまではずっと私がそのへんを歩いたりして、生活の中で見つけたおもしろ人やおもしろ物を簡単な線画で構成された「キャラ」化して描き溜めていくということをやっていました。描いたキャラは他の人に見せて、「私こんなのみつけたんですよ〜」と語ってみて、どんな反応が得られるか試してみるまでがワンセットでした。
この段階では、見たものをキャラとして素早く描き出し、かつキャラを見せながらコミュニケーションを取るという器用さや対応力を獲得できたかなと思います。このあとの実践は何の準備もなくはじまっていくものになってしまうのですが、そこにしれっと紛れ込んで、落ち着いて目の前の世界をサッと描く、話すということがそこそこ自然にできたのはデザイン学会までの継続的なキャラづくりのおかげかなと思います。

無茶振りからうまれた実践の展開

デザイン学会で私が発表した内容に関しては先述した通りのキャラづくりについてでしたが、発表前日の学会2日目で「地域デザイン実践の航海図づくり」というWSが行われたんですね。
で、私も普通に参加しようと思ってたんですけど、横溝先生から「(私はWSに直接参加しないで)みんなの様子を記録してみない?」という趣旨の言葉と共にでかいクラフト紙をもらいました。ど、どうなっちゃうの〜!?

学会で描いたやつ

結果としてはどうにかなりました。あまりにもプレゼミ配属から1年ほどで鍛えられすぎているしこういった状況に慣れすぎている。自分すごい!!えらい!!

ただ、このあと描くやつと比較すれば顕著にわかるのですが、これ参加した人たちの姿がキャラというより完全に「モブ」なんです。先生や私の姿だけはしっかり描かれていて名前も明記されてるから、それに対してWS参加者は「三者三様の動きをする個人のあつまり」ではなく、「不特定多数の参加者集団」というふうに見えてしまっています。
時系列で集団の動きを描いているので、確かに活動の記録としては流れや全体の雰囲気がわかって良いかもですが、これは、、、キャラづくりとかではなくて単なるグラレコなのでは、、、という仕上がりになってしまいました。

表現基礎(構成)でリベンジを試みる

次に、表現基礎(構成)という1年生の授業に入らせてもらい、ふたたび活動中の人々を観察してキャラ化し1枚にまとめる実践の機会をもらいました。
学会レコーディングでは背後からの定点観察だったために個々人の詳細な動きを見ることができず味気なくなってしまいましたが、今回は学生が学内を動き回るという授業の性質上、定点からクラフト紙で描くのではなくiPadを持ち歩いて描くというやり方を選んだことで、学生に近づいたりいろんな角度からの観察が可能になり「モブ」をある程度脱却できました。
名前などの特定できる情報は書かないが、1人や少人数に絞った観察を重ねることで、髪型や服を描き込んだり具体的なポージングを描き「断定はできないけど誰かわかるかも、もしかしたら自分かも」くらいの識別ができる具合の表現になっていると思います。(でも、今改めて見たら白ハゲモブキャラも多いですね、、、。まだ学生たちから距離を取りすぎている感じがします。)
これにより、授業後に見ながら振り返っても、学会のときのような「大勢がなんかしてる(他人ごと)」ではなく「大勢のなかに個人として確かに存在する自分や他者(自分ごと)」として見てもらうことができたのではないかと思います。

4限で描いたやつ(学生からのコメントなし)
5限で描いたやつ(学生からのコメントあり)

それで、授業後はこれを使って振り返りを行ったのですが、4限では時間が足りず学生から話を聞くことができませんでした。私が「こんなことしてる人もいたよ〜」という話を一方的にする感じで、「これそこのお前だよな!!なんでこんなことしてたの!!」というような質問はなしで進行しました。が、少し学生の表情とか反応は見れました。
このキャラ自分かもと気づいたっぽい人は、なんか、、、みんなちょっと恥ずかしげというか後ろめたそうにしていました。
私は教員側でもなんでもないので、授業中に学生が飯を食おうが花を愛でようがそれを咎める気持ちは一切ないのですが、やっぱり決まった活動をするというルールが存在する中で、少し外れた行動をしてた人はもちろん、別にしてなくても、人に行動を見られてそれを指摘されることの(=評価されているのではないかという)恐怖みたいなものが大人になっていく段階で植え付けられているんだろうなあと思います。いや、もちろん私の話し方がちょっと責めるような口調になってしまっていたのかもしれないし、「でも、そのあと真面目にやってたね!」というようなフォローがなかったのも問題だった可能性は大いにありますが、、、。
ただ、私が小一のときは、自分のおもしろ行動が学級通信の4コママンガに登場していたら素直に喜んでいました。小さい頃は人に見られること=評価されることみたいな考えがなかったんだと思います。いつから変わっていってしまうのか。

踏まえて5限は、振り返りの時間を少し多めに作ってもらう配慮をしていただき、少しですが学生とコミュニケーションを取ることができました。(赤字が学生との対話で得た情報です)
話を聞くことで、私が見ただけではわからなかった実情みたいな部分がはっきりしてきます。例えば、「透明机の裏をこすりたい」学生は、ここまでキツい体勢で頑張っているのだからさぞ面白いフロッタージュがとれたように見えますが、話を聞くと実際はうっすらぶつぶつした柄が出た程度で、案外イマイチだった、、、とのことでした。すると、このキャラに仮に設定をつけるならば、満足げな顔でその場を後にする、などではなく、不満げな顔で立ち去る不憫キャラという属性をつけることができます。そんな感じで、本人から話を聞いて補足情報を得るとよりリアリティのあるキャラづくりができるなあと思いました。
ただし、そう考えるとこれはあくまでわたしがキャラをブラッシュアップしていくための取材であり、対話中は私と相手の学生だけの振り返り時間になってしまっていました。振り返りの場にいた他の学生からしたらそれこそ他人ごとになってしまっていたようにも思います。また、話を聞いた瞬間キャラが誰なのか断定されることで自他がはっきり切り離されてしまい、先述した「大勢のなかに個人として確かに存在する自分や他者(自分ごと)」を意識してもらうことも達成されなくなっていたのではないかと思います。

個性際立つキャラづくりを目的とするならば話を聞けた5限のほうが収穫はあったけど、キャラの集まりを見て何か感じ取ってもらうことが狙いであれば4限の方が良かったかな、という感じです。

石山朝市の真ん中で

つづいて、院生の活動に混ざって石山朝市&カレーづくりを記録する実践を行いました。
朝8時に朝市の開催場所である石山振興会館に恐る恐る入ってみると、まだ人は集まっておらず、薄暗い会館の中で「うまくできるだろうか、、、」と静かに座って待っていました。
しばらくすると院生の皆さんが来て、朝市に出店する方々も続々と現れました。どの方も「おはようございます!」と元気にあいさつしながら入っていくのが爽やかで素敵でした。
私は最初だけ少しカレーづくりの準備を手伝っていましたが、院生が3人集まったところで準備から外させてもらい、ぼちぼち記録させてもらうことになりました。今回はまた大きいクラフト紙に描くため、朝市の邪魔にならないようにしつつ描けるスペースを用意してもらえないかお願いしたところ、なんと朝市会場のど真ん中に長机を2台用意していただけました。本当にありがとうございます!!また、初めて石山朝市に来た私がこんなにもすんなりと入り込める雰囲気を作っていたのは院生の皆さんだと思うので、もう全ての人たちに感謝という感じです。

そういうわけで、朝市の雰囲気をその中心でいっぱいに浴びながら、人々の動きを描き出しました。最初は学会での記録のように時系列で描いていこうとしていましたが、せっかく全体を見れる場所に陣取っているのだからと思い、会場図のように描いてみることにしました。

石山朝市で描いたやつ

キョロキョロしつつ黙々と描いていると、朝市を訪れたお客さんに結構な頻度で話しかけられます。「上手だね〜」「ここがあのお店でしょ?ちゃんとわかるよ」などたくさん褒めてくれて、私の自己肯定感はひたすら上がる一方でした。
「ちっちゃい頃は漫画家とか目指してたの?」「将来はきっとイラストレーターとかになるんだわ〜」「年取ってもしっかりした人になれるよ!」などと(いい意味で)勝手に私の将来像を想像してもらったり、ひとしきり褒めた後にまた現れて「お名前は?写真撮ってもいい?」と言ってくれたベタ褒めおば様二人組にヨイショされたりしていました。
これまでは描く→完成したものを見せて私から話すという流れを作っていましたが、ここでは描きながらその場にいた人と自然に会話をするということができたと思います。
石山朝市の人々はみな爽やかで軽やかでした。買い物しに来たというより、ご近所さんに挨拶しに来たみたいな人が多く、お客さんが長机の横に回り込んで店員さんと普通におしゃべりしている場面が数多く見られました。わかりやすいように「お客さん」「店員さん」と書きますが、あの場にいた人からしたらそんな感覚はなかっただろうと思います。
おつりの1円を忘れたお客さんに店員さんが駆け寄り、「おつり!1円忘れてる!」に対し「ああ〜ごめんごめん」と笑いながらなんか謝っちゃうお客さんの、普通のお店ではありえないラフなやりとりや、「うまいもんだな!」と褒めてくれたおじ様を描いたところ、おじ様は朝市を一通り見た後、また私の様子を伺いに来てくれたので、あなたを描きましたと伝えて見せたら「これオレ!?ウハハハハ」と豪快に笑いながら帰っていった爽やかさが最高でした。
そうして人々の爽やかさ、軽やかさにすっかりあてられた私は、朝市後カレーを食べて帰ろうとしていたベタ褒めおば様二人を引き留め、写真を撮らせてもらうという図々しさを最後に発揮しました。それがまたいい写真で、、、。

朝市に訪れる人となんの関係性もなく、名前も知らず、それでいて人見知りの気質がある私ですが、疎外感を感じることなく朝市の空間に混ざって軽快なコミュニケーションを楽しめたと思います。またやりたいな〜。

またも1年生の授業に参戦

石山朝市の余韻を残しながら、今度は情報リテラシーIIの授業で記録を行いました。動きのある授業なのでiPadに描いていきます。
今回は隙を見つけて作業中の学生に話しかけたりもしてみました。怪しまれないように!

情報リテラシーIIで描いたやつ
情報リテラシーIIで描いたやつ(つづき)

だいぶ手早く描けるようになってきたのか、構成の記録に比べてモブが減りました。特に2枚目のほうは大きめに描いているのもあって、いい感じに解像度高いキャラ表現ができているのではないでしょうか。どうでしょう。
構成の授業でやってたのを覚えててくれてて、今日はいい人見つけました?と聞いてくれた子がいたのが嬉しかったです。振り返りの時間でも、私はあんまり反応を見れませんでしたがどうやらみんな真剣に見てくれていたようで、、、。

石山朝市の気さくな雰囲気と比べたら、授業中だし萎縮させちゃうのは仕方ないよな〜と思っていましたが、やっぱりデザイン学部生、順応が早いですね!!

今後

石山朝市での実践がかなりいい感じで、かつ継続したらまた発展がありそうな気がしたので続けていきたいなと思っています。それと、後からでいいので色もつけれたらいいですね。
でかい理想ですが、私の手でキャラ化して描かれることを楽しみに思ってくれるような人が現れたらもう最高です。

ひとまず論文書くぞ!!ではまた次回!!

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