
音に潜り、揺れる私は視界をぼやかす
パートナーと暮らし始めてから、ひとりで過ごす時間はほとんど消えた。二人にしか分からない幸せを、少しずつ摘み取りながら過ごす生活に満たされる。いつしか「ひとり」という言葉が私から遠ざかっていた。しかし、この夏はパートナーが家を離れ、友人と過ごす夏を楽しんでいる。久しぶりに訪れたひとりの時間。寂しさを感じると同時に、全てが自分の選択で展開されていく暮らしの新鮮さが部屋に響く。
一日目の夜が訪れた。窓から流れ込んだ夜風を感じながら、ベッドでくつろいでいる。鈴虫の声がよく聞こえる。なんとなくtetoを聴きたくなった。彼らは2016年に結成したロックバンドで、私の青春が詰まったバンド。高校生だった私の心には、孤独がつきまとっていた。でも、その孤独があったからこそ、彼らに出会えた。
今、tetoは「the dadadadys」として新たな形で生まれ変わり、過去の姿はもうどこにもない。私はYouTubeで懐かしいMVを掘り返す。もう二年以上経ったというのに、まだ新しいtetoを受け入れることができないでいる。彼らは、私からすでに遠い存在になってしまった。最近は頻繁に聞くこともなくなったが、一人になった時だけは、そっと耳を傾けたくなる。
あの頃、周りの人々が次々と去っていく感覚があった。その時に感じた虚しさや寂しさ、焦燥感と共に、やっと、一人になれたという安堵が私を包んだ。一人になることの恐怖が私にはあった。世界に取り残され、一人になると消えてしまうような感覚に怯えていた。それなのに、一人になると妙に肩を撫で下ろす自分がいた。やっとtetoの音楽に潜れると、心にゆっくり染み込んでくるあの感覚が、どれほど心地よくて安心できたか。
暗い道を歩く私の前に、道を照らす気のない電灯をひとつ、またひとつと横を通り過ぎる。しばらくすると遠くに駅の大きな明かりが浮かぶ。電車の雑な揺れを感じながら、私も揺れ、額に汗が滲み出てくる。電車のドア付近には私と同じ制服を着た人で溢れているが、周囲の景色がぼやけるように、目を伏せた。周囲の高校生はエアポッツとか高価なイヤホンをつける中、私は相変わらず有線のイヤホンをつけている。通学バックのチャックがないポケットに突っ込まれた、汚れた音漏れが激しい安物のイヤホン。いまだにそれを愛用している。そのイヤホンで聞くtetoもなぜか好きだと思っていた。今、そのイヤホンをなくして部屋中を探しまくっているところだけど。
tetoの音楽には、私が青春時代に感じた胸騒ぎや雑音、心の揺らぎがそのまま詰まっているように思えた。荒々しく何かを隠すように掻き鳴らす音の中に、どうしようもなく弱い自分をそっと映し出す歌詞がある。まるで、ひとりぼっちの私の隣に静かに座り、背中を優しく強く押してくれるかのように。それまではずっとひとりが怖かったんだ。でも、ひとりでいても、きっと、立ち続けられるんだと思わせてくれた。
彼らの音楽を、空気を、肌を震わせて感じたかった。でも、もうそれは叶わない。夜風がじめったく、まだ生ぬるい。もうすぐ9月になる。一人きりになったら、またtetoを聴こう。