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4年前の今日は喫茶すみへいを始めた日

2018年3月3日は喫茶すみへい1杯目の日でした。4年前の今日ですね。毎年何かと思い出す日でして、ちょっとnoteでも書いてみますね。書き始めたのが昨日(3/2)の夜なんだけど投稿が今になっちゃいました。

2018.3.3

勇気を出して、公園でテーブルを広げて、道行く方に珈琲をふるまいました。

お酒飲んだ後に珈琲って飲みたくなる僕は、そんな場所があったら良いなと思って、四日市の繁華街の中にある公園で青空喫茶をやったのです。

記憶がもう曖昧で、具体的にはどんなことあったか覚えてないですが、あっという間に終わって、終始楽しかった記憶だけ残ってます。

あの日から4年経って当時を振り返ると、当時の僕は

  • とりあえず、何か始めたかった

  • とりあえず、何かやりたかった

  • とりあえず、何者かになりたかった

月日が経ち、少しは何者かになれたかなと思うし、当時の自分に比べて自信は持ててる気がする。自信を数値で表すならきっと高くなっているだろうけど、“自信のなさ”は今もあまり変わってないな。

あとは、そもそと「何者かになる必要はあったのか」と疑問もいだけるくらいに自分ってもんを持ててる気もする。


「何者か」って、誰かと比較して何者かって話なんだよなぁ。あの人すごいよなぁ、みんなから認められてるよなぁって思う気持ちが焦らせたんだと思う。

今は、ことあるごとに、「誰かと比較しない」って言い聞かせてる僕なら当時の自分に「何者かになんてならなくていいぞー!と言うだろうな、、、いや、ん〜どうだろう。言うかなぁ…言わないかなぁ…


今の時点で当時の自分を見た時、あの時、「何者かになりたい」と衝動にかられて、踏み出した一歩が今のこの状況を作り出してるというのはいうまでもない。もちろん良い意味ですよ、

踏み出す一歩を後押ししてくれたのは間違いなく周りの仲間のおかげ。これはほんとにそう思う。

えいっ!って振り切って、どこかでやり始めないと、ずっと何もしない。今もそうだ。

行動の一歩目はとても重い。
“これまでやってきた”という経験が足かせになってさらに一歩を重くしている。

失うものがなかった4年前。

今は失うものってあるんだろうか?

何かすごいものをこの4年間積み重ねてきたようにも思うし、大したことやってないとも思う。

積み重ねてきたものってこれから積み重ねていくものに比べたらちっぽけでなものなんだろうなぁと、自己肯定感高めの自分が言ってる。

だから、「失うものがある」って思ってる自分は何様なんだろうとも思ったりする。

きっとどっちも正解だけどねぇ。

ただ、変に知識がついて一歩目を踏み出す前に“考える”ようになっちゃいましたね。


こっちよりあっちを選んだ方が成果出そう、目立ちそう、影響ありそう…

どうしよう、やるまいか、、、もっといい選択肢があるんじゃないか?

これはやるべきか、やらないべきか

「やらないことを決める」は大事だけど、そんなにやりたいことあるのか?

やりたいことって、やろうか、やるまいかを決める前にやっちゃうもんじゃないんだろうか?

とにもかくにもですよ、どんなことでもそうだけど、誰かが言ってたことの受け売りなんですよ。

「やりたいことを決めるんじゃなくて、やらないことを決めよう」←とても大事なことだ。

でも、やらないことを決めるために何も動かずに、ううぅぅっと唸っている自分にもイラつくし焦る。

何かやらなきゃやらなきゃって思ってしまい、自分を追い詰めてるのも自分なのにね。

どこまでいっても、僕はきっと人と比べるだろうし、人の評価を気にするとは思うけど、これを限りなくゼロにしたいよね。

何もしてなくてもいい、何もしてない自分も認めてやれる器量の大きな人になりたい。


4年前の自分へ

その勢い大事にしてこうな!

まずやっちゃってから考えよう!



見出し画像は諏訪公園の中にある諏訪交番へ挨拶に行った時のやつ。色々と言われ、開始前からビビってましたが何事もなく初日を終えられました。


こう言うのが残っててほんとありがたいなぁって思いますね。


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