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何故、統一教会を辞めたのか?❶

私が入教したのは1985年です。1988年に祝福(合同結婚式)を受けました。2015年には完全に行かなくなりましたから、30年間は身を置いていた事になります。

30年もいたと言えば驚かれる事でしょうが、1959年頃から西川勝(崔奉春)先生が日本で伝道されましたので、その当時に伝道された先輩は信仰歴が60年と考えますと、私などはまだまだでしょう。

教祖の文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は、1920年に生まれて2012年に亡くなりました。2012年に文先生が亡くなられた時、私の目標がなくなった気がしました。その後、韓鶴子(ハン・ハクチャ)夫人が後を継がれたのですが、鶴子夫人は様々な事を変えていかれました。

古い信仰者である私のような者に言わせれば、全く別の宗教になってしまったのです。それゆえに、当時世界会長で後継者と言われていた七男の亨進(ヒョンジン)様はお母様(鶴子夫人)と対立されて外に飛び出しました。

2015年1月18日に、亨進(ヒョンジン)様は「沈黙を破って」と言う説教をされました。興味がある方は下記のリンク先から読んでみてください。

この説教で、幹部が公金横領している事を告発しました。この話を聞いて、私の中で何かが切れたのです。その後、ネットに出ているいろいろな情報を集めるようになり、自分がいかに無知だったかに気づきました。

教会本部から聞かされてきた事は全てではありませんでした。文先生に対してはかなり美化されて伝えられていましたが、いろんな人の証言を知る事で自分がいかに幻想を抱いていたかを知りました。

自分の中で理想のメシヤ(救世主)像を勝手に作りあげていたのです。まさにアイドルのように見ていました。「この人のために自分は死ねる」と思っていました。

元々自殺願望があり、生きる事に価値を見出せなかった私は、いかに死ぬかを考えていました。「神のために死ぬ」は、私にとって理想の生き方だったのです。まさに「お父様(文先生)のために自分は死ねる」と思っていました。

子どもが出来てからはさすがに死ぬ事は考えなくなりましたが、独身の頃は「神のために死ぬのなら本望だ」と思っていました。それほど真剣に深刻に信仰に取り組んでいたのです。

だから常に悩んでいました。「文先生は本当にメシヤなのか」「この道は本当に正しいのか」「原理は本当に真理なのか」と。そのために、聖書や文先生が語られた「み言葉」を実践してみようと思っていろいろやってみました。 続く。

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