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26歳の僕が達成した「たった一つの目標」

去る6月1日に、僕は27歳になりました。
お祝いしてくれた方、ありがとうございました!

一年前には出会っていなかった方にたくさん祝ってもらって、この一年間の充実さを物語っています。

僕は輝かしい30代をイメージして毎日生きているので、27歳なんてまだまだひよっこです。
精神年齢はいまだに17歳です笑

27歳としてまた歩み始めたわけですが、26歳の一年間を振り返ると、
「とある目標を立てて、さらにその目標を達成した」ことに気づきました。
気づいたら達成していました。

日頃全く意識していませんでしたが、もしかしたら自分の潜在意識にあったのかもしれません。

それは、

『掴む』

という目標でした。

■感じ始めていたある変化

26歳になる直前に、友達からサプライズで誕生日を祝ってもらって、非常にテンションが上がっていたとき。

「さて、今年はどんな目標を立てて生きていこうか?」
そう考えはじめ、すぐに頭に浮かんだ言葉が、

『掴む』

でした。

今思うと、何を掴みたいのか、掴むとはどういうことか全くイメージせずに宣言していましたが、
それでも、何かを掴みたいと思って目標を立てたのでしょう。

実は、当時「人生が変わり始めているかも?」とうっすらとした予感があったため、
「今までと違う何かが掴めそう!」と思って目標を掲げたのだと思います。

実は、昨年の誕生日を祝ってくれた友達こそが、僕のキーパーソンだったのです。

■変化のきっかけをくれたキーパーソン

その友達と出会ったのは昨年の誕生日の2ヶ月ほど前で、
それまでの僕は”つまらない大人”へまっしぐら。

平日は好きかどうかも良くわからない仕事を何も思わずにこなし、
週3回ぐらいは同僚や友達と飲んで、過去の思い出話や職場の悪口などで埋め尽くす”生産性ゼロの飲み会”をただこなしていました。

週末は好きな野球をやれていたので気分が落ちることなく過ごせていましたが、
野球しかやることがなく、友達も増えずに同じ週末を繰り返す日々。

仕事も好きかどうかわからなかったので、将来の目標を完全に失っていました。
東京という街にも押しつぶされそうで、地元に逃げ帰ろうと考えていたときもありました。

そんなタイミングで、後のキーパーソンとなる友達と出会ったのです。

その友達は、僕が知らなかった世界をたくさん知っていて、その世界を僕に次々と見せてくれました。

社長、フリーランス、ミシュランに掲載される店の料理人、
挙げたらキリがありませんが、僕の知らない生き方・輝き方をしている人がたくさんいました。

人生は苦しいものだと思って生きていた僕にとって、何より嬉しかったのは「皆楽しそうに生きている」という事実。

何とも言いがたい殻に閉じこもっていた僕にとって、視界が一気に拡がった。そんな出会いだったのです。
確実にそこがターニングポイントでした。

■僕が掴んだもの

前置きが長くなってしまいました。

で、お前は何を掴んだの?

ってことですよね。

欲張りですが、3つあります。
それは、

●武器
●チャンス
●夢

です。
それぞれの意味は次のとおりです。

武器:文章で想いを届ける力
チャンス:その武器のおかげで切り拓いたメディア業界への道
夢:そのチャンスの先にある「前向きな世界をつくる」こと

これだけのものを手にした26歳の一年間。
一生忘れたくないので、そういう意味をこめてここに記していきます。

■武器を手にするまでの半年間

まず、文章で想いを届ける力について。

人生のターニングポイントに立っていた僕は、イケイケドンドンで色んなことに足を踏み入れまくりました。

そうして出会ったコミュニティで、僕がシャカシャカとメモを取る様子を見て『バンキシャ』と名付けてくれた人がいました。
また、コミュニティの集まりで色んな話が出るので、バンキシャというあだ名にあやかってレポートを書いて展開すると、喜んでくれたり褒めてくれる人がたくさんいたのです。

最初は、「別に俺が書きたいと思って書いただけなんだけどな」とあまり気にしていませんでしたが、
そのレポートを何回か続けるうちに、あることに気づいてしまいました。

「自分が想定していたよりも周りからの評価が高すぎる」

ここに気づいて、もしかして文章能力が自分の中にはあるのかも?と思い始めたのです。

そう気づいてからは、個人でブログやnoteを立ち上げて書きたいことをひたすら書いてみたり、
そのコミュニティ内の人から「こんな文章書いてほしい」とお願いされて書いてみたり。
もちろんレポートも継続していました。

そうして今日までの約半年間は、文字を書くことをひたすら鍛え続けていました。
鍛え続けるといっても、自分の中に文章を書くというのは当たり前にあるものなので、全く苦ではありませんでした。

ひたすら書きまくった日々のおかげで、ライターとしてWebメディアにジョインしたり、別のコミュニティにライターとして招待されたり、新たな扉が見えてきたのです。

それは全て、文章で想いを届ける力を手にするまでの半年間があったから。


余談ですが、こうした力がついていざ会社の同期や先輩が書く文章に目をとおすと、
本当に下手くそな文章に見えてきたのです。
リテラシーが上がった証拠ですね。

■動いたからこそ目の前に現れたチャンス

次に、"切り拓いたメディア業界への道"という部分について。

実は、転職して7月から新しい会社で働きはじめます。
土木建築の設計・施工管理技術者から一転、次はWebメディアの編集者になります。

上に書いたような自分に舞い込んできた話に対して素直に取り組んでいき、スキルを磨いたおかげで現職とは全く関係のない仕事ができるチャンスを掴んだのです。

元々何も言われなくても文章を書くぐらいその行為が自分に染みついてて、かつ周りの評価から自分の能力にも気づきました。
さらには、次の章で書く"夢"も描くことができたので、今回の転職は僕の中でかなり自然な流れなのです。

しかし、良く考えてみると、こう思えてきました。

「土木建築の畑でずっと生きてきて、社会人3年目のひよっこが、
全く違うメディアの会社に移れる。
こんなこと普通有り得ないよな?」

それもこれも、僕にきっかけを与え続けてくれた方たちのおかげです。

そして、僕が行動し続けたからこそ生まれた道だと信じています。

■人生で初めて持てた夢

これまでの人生で将来の夢やなりたい姿が全くなかった僕にとって、これが一番大きいかもしれません。

小学生のころは「プロ野球選手」と言っていましたが、今覚えば野球をやってたから消去法で言っていたのだと思います。
というより、野球選手以外の職業を知りませんでした笑

中学校のときに「プロ野球選手は無理だ」と本能的に察知してから、これといった夢は一切ありませんでした。
テストでいい点を取ることしか目標がありませんでした。

そんな中、26歳の一年間を経て生まれた夢がこれです。

前向きな世界をつくる

この言葉は、これからの人生のキーワードになります。

詳しくは6月30日投稿予定のnoteで語りますが、この言葉が指すものについて触れておきます。

この一年間で、メディアの持つ力の強さを目の当たりにしてきました。

僕自身が響く言葉もメディアによって放たれたものですし、僕の周りの人の心が動く瞬間を何度も見てきました。

前向きに生きている人が希望を持って生きられる世の中であってほしい。
その世の中を実現するために、僕はメディアの力を借りることにしたのです。

一人でも多くの人が前を向いて生きられるよう、僕が届けられる言葉をこれからも発信していきます。

そんな夢を掴んだ26歳でした。

■最後に

そういうわけで、『掴む』という目標を達成した素晴らしい26歳を過ごしました。

行動しすぎて疲れる時は多々ありましたが、それでも行動して良かったなと思います。
行動することでしか自分は変わらないものです。

そして、27歳の目標は『拡げる』です。
昨年同様、何をどう拡げるのか全く考えていませんが、とにかく拡げます。

皆さんにとっても、目標を達成できる素晴らしい一年でありますように。

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