怒りは怒りで返さない。悲しみは広げない。喜びは躊躇わない。幸せは独り占めしない。
僕が世界一尊敬する人が、とある日のブログに書いていたこの言葉。
しっかりと、僕の教科書になっています。
いきなり自分語りになってしまうのですが、ここ数年で「変わったね」と言われることが何度かありました。
もちろん、いい意味の方です。
「昔より笑うようになったね」とか「表情が明るくなった」とか。
自分では認識できないことなので、素直に嬉しいです。
確かに、現状への不満や愚痴はなるべく言わないように心がけているし、周囲にはなるべくプラスの言葉をかけるようにしている。
それが、周りにも伝わったのかもしれませんね。
思い返せば、高校~社会人になりたての頃はひどいものでした。
何かとツンツンして、何かと他人を否定しようとして、結果的に友達が増えなかった。
厄介なことに、その事実に気づいていなくて、「どうして僕の周りには人が集まらないんだろう?」と他人の中にある理由を探そうとしていました。
でも、その原因は自分だった。
とんだブーメランだよね。
それからというもの、自分の考え方、他人に対する考え方を徹底的に変えていきました。
詳しくはこちらのnoteに書いているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
そこからというもの、本当に出会いに恵まれ、導かれるがままに生きていると面白いことばかりで、感謝があふれる日々を送っています。
今あるすべてでは当たり前ではない。僕は導かれてここにいる。
本当にそう思っています。
この間意識したのは、「ポジティブなことのみを人に届ける」ことだけ。
言いたくなった不満はなるべく我慢し、嬉しいことはすぐに口に出したり文章に書いたり、と。
今の自分がこのおかげかどうかはさておき、「意識してよかった」とは本当に思っています。
とはいえ、毎日幸せなんてありえない。
毎日が楽しいなんて毎日楽しくないのと同じ。
生きてりゃ、そりゃ色々あります。
辛いこと、悲しいこと、怒りたくなること、否定したくなること。
それが素直な心であることは理解しているし、こういう感情を抱くことを否定するつもりはありません。
また、それを口にしたり何らかの形で外に出した方が楽なのもわかっています。
「辛いことがあったら何でも言ってね」という言葉に、何度安心してきたことか。
でも、それらを口にしてしまったとき、少し遅れてやってくるのが「後悔」の二文字。
なんで言ってしまったんだろう、こういう言い方できなかったのかな、などなど。
悲しみを広げても、いいことは何もない。
自分は少し楽になるかもしれないけど、言われた人、それを聞いていた人に余計な心配をかけてしまうし、一瞬かもしれないけど不快にさせてしまうし、結果的に全員がアンハッピーになる。
とはいえ、誰だって弱音を吐きたいときはあるし、どうやら僕は、信頼している人にこそ弱音を吐いてしまう癖があるらしい。
「信頼の証だから」なんて片付けていた時もあったけど、それは自分勝手の極みであり、弱音なんかよりもっとかけるべき言葉があるはず。
そして、皆何かを抱えて生きている。
それぞれ目指したいものがあるし、それぞれの悩みがある。
幸せな人もいれば、苦しみの中でもがいている人もいる。
でも、僕の考えが間違いじゃなければ、ほとんどの人が「今よりも良い自分になりたい」と思っているはず。
皆、生きている間に生まれ変わろうとしているんだ。
そんな、他人の痛みにちゃんと気付いてあげて、自分も周囲も全員の最大幸福を探して叶えていくのが、人間関係だと思っている。
自分だけではだめで、周りだけでもだめで、一部だけでもだめで、最大幸福が求められる。
そのためには、怒りや悲しみは自分の中でぐっとこらえるべきだし、喜びや楽しさは積極的に共有した方がいいと思っている。
という話を数年前にしたとき、「自分一人で抱えててしんどくないの?」と聞かれたことがある。
確かにしんどい。自分だけで消化できない気持ちを、自分だけで消化しようとするのはエネルギーが必要。
でも、それを他人にぶつけてしまうことの方がよっぽどつらい。
自分以外の人を悲しませてしまうと、いい気持ちがしない。
だったら、無理してでも自分で抱えた方がいい。
自分で消化する方法を探して、すぐに喜びや幸せを探しに行った方が自分も救われる。
でも、それでも、溢れ出す思いというものがあるはずで。
それは、本当に信頼している人だけに伝えて、その人に暖かく包んでもらおう。
笑う門には福来る、という言葉があるように、笑っていれば周りの人もきっと笑ってくれる。
だから、大切な人が自分を見て悲しまないように、ぐっとこらえるところはこらえて、広げたいことはどんどん広げる。
そういう人であろうね。
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