見出し画像

昔描いてた幸せと、今思う幸せが540度違う件〜肩書きを受け取る思考から名乗る思考への変換〜

僕には、昔から思い描いていた幸せがあります。

それは、『学校でいい成績取って、いい大学行って、与えられた勉強をこなして、有名な会社に行って、そこで上に上がっていく』というもの。

そう信じてこれまでの26年間を生きてきたのですが、少しずつ考え方が変わってきつつあるので、その変遷を残すべく今の自分の想いを書いてみます。
僕の想いに共感してくれる人が一人でもいれば幸いです。

------------

まず、自分の過去を振り返ってみます。

~小学校時代~
少しだけ勉強の能力に恵まれたのか、小学校では成績はトップクラス。100点取るのが当たり前でした。
99点でも悔しかったから100点を取れるように勉強し続けたおかげで、「勉強ができる人」というポジションを得ました。
(超苦手な図工は全然成績上がらなかったけど…)

~中学校時代~
中学校でも、学年でトップ3にいるのが当たり前。
それより下は許せなかったので、勉強はし続けました。
(でも、一位にはずっとバケモノが君臨していたので、一位を取ることなく卒業しました。。。)

~高校時代~
進学校に通った高校では、多少伸びてた鼻が完全にへし折られました。学年400人中300位。
それでも、そんな現実が許せなくて、勉強しまくって学年1桁にまで登りつめました。
で、高めの目標として設定した大学に無事入学。

~大学時代~
高めの目標として設定した大学だけあり、周りのレベルの高さに驚く毎日でした。僕が大学で一番アホだと思うくらい。
そして、色んな学部があって、色んな研究室があって、皆それぞれの道に進むので競争意識を持たずに済んだのかもしれませんが、それでもどこか劣等感を抱きながら過ごす毎日でした。
「頭いい頭いい」と言われるのが当たり前だった環境から、一気にアホへと立場が変わったので、その現実に向き合いきれていなかったのかもしれません。

~社会人~
大学の専攻を生かした職につくことができましたが、ここでもその劣等感に苛まれています。
同期も頭のいい人ばかりだし、部署にはその道で何十年もやってきたプロフェッショナルばかりなので、自分の能力の低さに絶望する日々が続きました。
これまでの人生の延長戦にあるものがその環境なので、自分の過去さえも否定された気になってしまうことも多々。

------------

ここで、自分が”何のために頑張ってきたのか?”を考えてみました。
すると、この言葉しか出てきませんでした。
周りにいい顔するため

100点を取ることで自分の立場が守られる。
いい大学に行くことで周りから褒められる。

自分が何をやりたいか、という発想はあまりなかった。
だから、競争しなきゃいけなかった。自分が一番いい顔したいから。

それが今の自分を形成しているのは事実だし、過去の時間には感謝しています。
でもそれは、与えられた枠組みの中で評価されることが全てだと思い込んで、自分の意志とは関係なく人生を歩んでいる状態だと最近になって感じています。

自分の肩書に価値があると思い、その肩書(世間体)をもらうために生きた日々。
いわば、「5教科の世界」で勝負していたと言えます。

決められた教科のテストで0~100点で自分の能力が図られ、そこで評価されるには少しでもいい点数を目指すしかない。いい点を取ればいい顔をできる。
これは学校ではなく、社会にも当てはまると思っています。
知名度の高い組織にいることで、自分の意志とは関係なく知名度の高い肩書がついていく。
それを獲得する=5教科の世界で勝つ、ということなのかな。

------------

でも、『周りにいい顔するため』に生きるには、モチベーションに限界があると最近気づきました。
なぜなら、自分の意志がないから。

社会人になって丸2年。色んなものが見えてきました。
会社の中で自分の立場が上がれば上がるほど課されていく望まない仕事。奪われていく自分の時間。
歳を取れば取るほど増えていく不平不満。止められる自分の足。

いいと”思っていた”肩書をもらうことで、進む未来はどんどん暗くなっていく。
こんなのおかしい。

肩書の定義、与えられる仕事量を会社に予め決められ、それについていけた人が上に上がっていく。自分の意志とは関係なく。
これ、自分が幼いときに経験した不毛な競争原理じゃないか。おっさんになってまでそんなことしなきゃいけないのか。

そこで勝ち上がっていくことで得られるものは何なのか。お金なのか、地位なのか。
幸せそうに見えない人には何も感じられない。
むしろ、人間的に大切な何かが奪われていく。だから、セクハラとかパワハラが生まれてしまうんじゃないか?

おっさんになってまで続く「5教科の世界」には俺の望む世界はない。
そう思わされる2年間でした。

------------

そしてその2年間で色んな出逢いがありました。
色んな生き方をしている人に出逢うことができました。

会社員、コーヒーショップ店長、フリーランス、起業家、デザイナー等。
その形は本当に多種多様で。

僕が話を聞いて心が躍る人に共通していたのは、
”自分を持っている””自分の描きたい理想がある”
ということ。

自分の持っている世界、自分が描きたい世界があるからこそ、
自分も周りも輝く人生を送ることができる。

その形は「5教科の世界」に囚われていません。

だから、

周りにどう思われるかじゃなくて

自分がどうありたいか

これがこの2年間で一番得られた感情でした。

「5教科の世界」に囚われない生き方、自分にしかない生き方によって、肩書を自らつくっていく。
そんな生き方が素敵だと思いました。

------------

540度変わった自分の幸せから、僕が描いた未来は「愛媛の太陽」です。

環境のせいで感じる必要のない劣等感を感じている人が一歩踏み出してくれるような太陽になりたいと思っています。

だから、僕は「5教科の世界」では得られなかった発信力で、その未来を実現します。

------------

グルグルグルグル、自分の考え方をかき混ぜまくってください。
それによって自分の描きたい未来を描いていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?