「よくわかんねえな」と言われる人であれ
周りの人にこんなこと言われたことありませんか?
「アイツよくわかんねえな。」
僕は度々あります。
特に、会社員となった2年前から良く言われるようになりました。
こんなTweetをしちゃうぐらい言われます。
僕自身、生き方には強いこだわりを持ちたいと思っています。
一分一秒に自分の意志を宿して、自分自身が納得できる生き方を目指しています。
故に、他人があまりやらないこともたまに始めちゃいます。
例えば、何の理由もなくお酒を断ったり、突然狂ったように服を捨てたり、意味不明にストイックな食事制限をしたり。
現場事務所からマンションまで走って帰ったり、メモ帳を5冊ぐらい常備したり、仕事中に水を2リットル飲み干したり。
確かに狂気だとは思いますが、
「ああでもないこうでもない」と試行錯誤しながら日々をアップデートしているのです。
僕だけではなく、皆それぞれ何かこだわりを持っていると思うのですが、
そのこだわりに対して他人は二種類の反応をします、
一つは、
「すごいやん!詳しく教えてよ!」
というもの。
もう一つは、
「お前よくわかんねえな」
というもの。
前者のような人と話すのは本当に楽しいので、そういう人とは色んな話を共有したいと思っています。
一方で、今回のテーマでもある後者のような人。
こう言ってくる人が意外と多いので、
●なぜそう言ってくるのか?
●どう接するべきなのか
この2点について考えてみました。
----------
●なぜそう言ってくるのか?
そもそも、そういう発言をするのは何故なのか?
どういう背景なのか?
それを考えたときに、”常識”というワードは切り離せません。
「よくわかんねえな」と言われるということは、少なくともその人にとっては違和感を覚えていることになります。
違和感を覚えるということは、その人の理解の範疇を超えていることになります。
その理解の範疇は何を以て作られているのか?
それは”常識”に他なりません。
僕自身は、”常識”とは『大多数の人に当てはまる普遍的な概念』であると解釈しています。
”常識”さえ踏襲していれば周りと外れたことはしない。
”常識”さえ踏襲していれば変なことは言わない。
組織や社会の秩序を保つためには、”常識”の存在は必要かもしれません。
そして、今回のメインテーマである「よくわかんねえな」と言われる人は、単刀直入に言うと”常識”の中にはいない人です。
他人の理解の範疇を超えた行動をしています。
だから、”常識”を踏襲する周りから違和感を覚えられるのです。
”常識”とは自分を守ってくれるものではありますが、同時に自分の壁となるものです。
昨日とは違う自分になるためには、”常識”を越えることがどうしても必要になってくるのです。
それを理解して自分の信念に従って行動する人に対して、いつまでも安全地帯にいようとする人がかける言葉がこれなのだと思います。
「よくわかんねえな」
●どう接するべきなのか
とはいえ、「よくわかんねえな」と言われない人になるのは無理だと思います。
色んな人色んな考え方があるので、全員に受け入れられるのはハッキリ言って無理です。
「よくわかんねえな」と言われたとき、取るべき接し方は2つあると考えています。
1つ目は、『無視する』。
そんな人のことの言うことは気にせず、自分のエネルギーを割きたい場所に割くほうが幸せに生きられます。
2つ目は、『感謝する』。
周りから違和感を覚えられるということは、自分は既にその価値観から卒業していることの証明です。
それ即ち、自分が既に半歩前にいるということです。
それに気づかせてくれる人がいてくれることに感謝。
その気づきから、自分が本当に好きなことや本当に得意なことへ足を進められるかもしれません。
「よくわかんねえな」という一言は、自分が気づかなかった自分に出会えるきっかけになり得るのです。
----------
まとめ
「よくわかんねえな」と言われることに対して、何も恐れることはありません。
むしろ、喜ばしいことだと言えます。
なぜなら、周りよりも半歩前にいる証拠だから。
これを読んでくれた皆様も、変わらず「よくわかんねえな」と言われる人であり続けてください。