「持続"可能"な」って一体何なんだろう?
今朝、コンビニのコーヒーメーカーでコーヒー待機をしている時に、そのモニターに「持続可能な社会をつくる」的な言葉が映っていた。
これまで何千回と見てきた言葉のはずだが、今朝はなぜか疑問が生じた。
「持続可能な」って何?と。
英語では「Sustainable」と訳される言葉で、日本ユニセフによると「何かをし続けられる」という意味らしい。
わからなくもないが、何かしっくり来ない。
というのは、「持続的」とか「持続する」でいいのでは?と思ったからだ。
何かが持続する社会を作りたいのなら、「持続する社会を作る」でいいのでは?と思ったし、わざわざ「持続可能な」と回りくどい言葉を使う必要はない気がした。
「持続可能な」という言葉が広まる背景には、きっと反対の「持続不可能な」への課題意識があるのだろう。
低賃金での長時間労働、過度な環境への負荷など、いろいろ考えられる。
それらの「持続不可能な」ことへ一石を打つ必要性はよく理解できる。
しかし、それらに対するアクションは「持続可能な」社会づくりではなく「持続する」社会づくりなのではないだろうか。
要するに「可能な」はいらないのでは、ということだ。
「可能な」という言葉がついてしまうことで、100%のコミット感ではないように感じられてしまう。
「持続"可能"な」って一体何なんだろう?という問いに対して、答えは特に出てはいない。
この解を出すことは僕の仕事ではない。
ただ、当たり前に使われている言葉に対して、疑問を抱くことは重要であると考えている。
それは、物事の真意を掴むためであり、自分自身に納得するためだ。
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