抽象化の先にあるのは自分の軸
「構造化と抽象化」
先月から僕の頭にあるキーワードです。
先月の #櫻田サロン のオフ会で、「僕はまだまだ抽象化か足りない」と思わされました。
なぜ足りないと思ったか?
それは、自分が目的だと思っていたことが手段にすぎなかった、と気付いたからです。
抽象化を繰り返すことで、自分のブレない軸にたどり着く。
そう気づいて物事を抽象的にとらえることを意識していましたが、軸はまだ見えてきません。
目的意識を重要視する僕にとっては、非常にムズムズする日々が続いているのです。
そんな中、今日の櫻田サロンで行われたオフ会の特別バージョン。
櫻田さんと、noteといえばこの人、最所あさみさんの対談が行われたのです。
最所さんが予め用意していた話題が全て抽象的。そして、話す内容はもっと抽象的。
「抽象議論ができる人はすごい」という話を聞いたことがありますが、それをまざまざと感じされられました。
そんな時間を過ごせていたので、僕の頭の中もどんどん抽象的に。
そこで一つの抽象的概念にたどり着いたので、それを書いてみます。
***
櫻田さんと最所さんの、話し方の共通点を見つけてしまいました。
それは、
「質問に対する回答にたどり着くまでに、必ず自分の体験を経由する」
ことです。
「What do you …?」と聞かれて、すぐに「It's ….」と答えるのではなく、「For example,…」や「Someone say that …」と自分の答えに至るまでの材料まで顕在化しているのでした。
なぜそういう答え方をするのか、自分なりに考えてみました。
すると、「思考の原点は原体験だから」という仮説に至ったのです。
自分が実際に見聞したものを軸に考えているので、抽象化したものへの道筋がしっかりしている。
自分をしっかり遡っているからこそ、そうできるのだなと感じました。
***
では、僕のことを書きます。
先月まで、僕のミッションは
「前向きな世界をつくる」
だと思っていました。
そして、そのためのビジョンが
「前向きな情報で世界を埋める」
でした。
ですが、もっと抽象的に考えると、ミッションがビジョンであり、ビジョンがアクションであると気付かされたのです。
「なら、僕のミッションって何なの?」
この1ヶ月ずっと考えているのですが、答えが全く出てきませんでした。
しかし、今日のオフ会によって抽象的になった脳で、これを考えてみることに。
すると、僕の原体験のもとにある深い軸が見えてきました。僕の転機にはいつも何があったか、それがわかってきました。
それは、
涙
だったのです。
自分の涙でもあり、誰かの涙でもあります。
嬉し涙でもあり、悲し涙でもあり。
その涙に向き合い、その都度取ってきた行動が今の僕を作っていることに気がついてしまいました。
また、僕の今の行動のモチベーションは、「この先の未来に涙が見えるか」。
単なる成功ではなく、涙を流すぐらい嬉しい成功がイメージできるかどうか。これを意識して生きてるのが僕だったのです。
涙を流すということは、中途半端な感情では不可能です。
思いっきり悲しんだり、思いっきり喜んだり。つまり、本気の想いが宿っている証拠。
その本気に向き合って、少しでもいい方向に進むと信じて生きること。
僕の求めている生き方を、やっと言語化できたような気がします。
したがって、僕の現時点でのミッションはこのようになりました。
皆で嬉し涙を流そう
***
自分の芯に触れるとき、自分の感情が爆発するときは、決まって抽象的なものに触れたとき。
抽象的なものに繰り返し触れ、自分自身を抽象化することを繰り返すことで、自分も知らなかった自分に出会えるのでしょう。