【私とボイトレ。ちょっと私のことを】
3日目
久しぶりに書き始めたので、自分とボイトレの関わりを書いてみようと思います。(ちょっと長いよ)
今でこそ教える側ですが、習う側だった時代から含めると大人になってからほぼ、ずーっとボイトレに関わっています。ただの習い事なのにちょっとオカシイ(笑)
子ども時代、歌い踊るのが好きな子でした
デタラメな歌を歌いながら踊るのが好きだったみたいで、幼稚園のお遊戯会とか大好きでした。大きくなるにつれ、雑誌の付録の歌本片手に家で歌ってましたねー。好きだったみたいです。
でも、音楽の時間の歌のテストになると、まるで音痴みたいにしか歌えない。そんな青天の霹靂のような体験をしてから 歌=苦手 が刻印された。
この頃の、鼻歌で歌えるのに声をちゃんと出すとナゼ歌えないのか?という疑問が今の自分を作っているような気がします。
ひょんな偶然で、禁断の扉を開けることに…
そんなわけで、歌がとびきり苦手な大人だったのでカラオケでは絶対歌わない。ひたすら場を盛り上げるか、自分の気配を消して歌わないようにしてました。
で、ある時
職場の同僚から余っているからとコンサートチケットを譲ってもらいました。軽〜い気持ちで行ったそのコンサートに衝撃をうけ、思いあまってボーカル教室のドアを叩いてしまったのです。
ここから、私とボイトレの長〜いお付き合いが始まりました...
やってもやっても、全然出来ない…
自分の中で、とびきり苦手なことなのでわかっていたけど本当に出来ない。
そもそもその曲に必要な音がちゃんと出ないから「歌」にならない…
その出来なさ加減から、関心はだんだんと
「どうしたら歌えるようになるか? 」ではなく
「どうしたら声が出るようになるのか? 」に変わっていきました。だんだん捻くれてきた頃です。
でも、そもそもの「声の出し方」を知りたいけど、教えてるのはくれる先生を探すことができなかった。当時はGoogleさんもいない時代だったのです。
諦めたら、出会った!
ここまででも、相当な不毛な年月が経ち
流石にもう辞めようと断腸の思いで決心するのですが
そんな時、出会っちゃうものですよね。
偶然本屋さんで今の声の師匠が出した本が平積みになっていて、つい反射的に手にとってしまい…ちょっとだけ覗いてみようと体験レッスンに参加して
あっという間に11年
あれ、変わる…
足を洗うつもりだったのに、はじめてしまったわけですが、それまでと圧倒的に違ったのはメソッドを『信じてない』ところ(笑)
今まで頑張ってやって変わらなかったので、頭のどこかで無理だと思っていたのです。だから全然頑張らなかった。
でも、不思議なことに
一番頑張ってないのに、声が変化してきたのです。
思いがけないことが起こり始めた
あんなに変わらなかった声に変化があわられはじめ
不思議なことに気づいたら「生きること」がラクになってきたのです。
この段階にくると、声が変わるのもうれしいけど
自分の中身が変化していくのを追っかけていくのが俄然楽しくなってきました。なぜか、声が出るようになればなるほど、自分の中がスッキリするのですよ。
それまで自慢出来る程、こじれ女子だったので
まさかボイトレしたらそこが解決するなんて予測もしてなくて…
このメソッドに出会って一番良かったのは声よりこっちの方かもしれません。
ボイトレって、セラピーかも?!
私のような変化は私だけに起こったことでもなくて、レッスン受けている人それぞれに起きていました。みんな表情が変わっていく、元気になる。
声って毎日使うものだから使い方を知っていることはとても重要。しかもそれがメンタルにも関わってくることがとても興味深くて、とうとうレッスン受ける側から教える側になってしまいました。
声も、その人自身も変化させることができるのがボイトレですが
それは別人のように変わるというわけではなく、本来の自分に戻っていきます。
自分を本来に戻していくって結構大変なことですが、それがついでのように起きるのでボイトレはセラピーみたいだなーと感じています。
ご機嫌で生きることは社会貢献
そんなわけで、私とボイトレの関係は今も現在進行形。
声とは一生のお付き合いだから終わりはないのかも(笑)
今まで声のことをやってきて、一番思うのは
ご機嫌で生きることは、もはや社会貢献ってこと。声が出ることはご機嫌につながる。
自分らしく生きることは自分が嬉しいし、さらに周りの人をも幸せにする。
声はそこに行ける安全な入り口のひとつだと思っています。そこにたどり着けるなら他の方法もどんどん取り入れたい。
こんな時代だから余計に
声出していこうぜー!
カラダ使っていこうぜー!
と強く思うこの頃なのです。