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【日記】DAKTARI|こどもの頃の日記から 8

196X年8月XX日 晴れたり くもったり

今日は、さい〔祭〕日だった。

Mさんがパン屋さんへ行ったが、店がしまっていたらしい。

今日は何もかも休みなのだ。

夕方、Daktari をテレビで見た。

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聖母被昇天の祭日。
「何もかも休み」という表現を使っているのが興味深い。
「どこもかしこも休み」と書くだけの知識は無かったが
「みんな休み」「ぜんぶ休み」よりは背伸びして書いている。

Daktari を調べたら、日本では「密林王国ダクタリ」「猛獣先生」というタイトルでテレビ朝日が放映していたらしい。Doctor を意味するスワヒリ語。

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ウィーンのテレビで覚えているのは、夏の夕方ならまだ窓から陽の光が射している18時頃に幼いこどもたち向けの「物語の読み聞かせ」みたいな番組があって、いつも Gute Nacht 〔おやすみなさい〕という言葉で終わっていたこと。それを合図に小さいこどもたちは寝室へ行き、夜は大人の時間という習慣が地元の人々には徹底していた。

わが家は日本人家庭だから、ふだんの夕食は小さい弟も含めて午後7時に団らんしながらだったが、両親にお客様がある日は、Mさんとこどもたちだけで食事を済ませて私も早めに自分のベッドルームへ行った。

お客様がご到着するとしばらくして、必ずご挨拶をするように客間に呼ばれた。オーストリア人ならドイツ語で、日本の方なら日本語で、ほかの国の方なら英語で。短期のご出張で来墺なさる方は子どもの喜ぶおみやげをくださる方もいらっしゃったので、きちんとお礼を申しあげるように、私たちはしつけられていた。

両親は、コントラクト・ブリッジを楽しむために同僚のご夫婦をお招きすることもあった。
時には3組お招きして客間にブリッジ用のテーブルが二つ出されることも。お互いの家を持ち回りで会場にして、定期的に楽しんでいた。