10年ぶりのドイツ旅4
レーゲンスブルクで早朝散策
昨日はパッサウ観光した上に、移動に合計4時間半もかかったので、夜は爆睡した。
朝6時に起きて、朝ご飯を食べにホテルの一階にある朝食ルームへ。スタート時間(6:30)ちょうどに行ったので、他の宿泊客はまだ数人しかおらず、すいていた。皆ビジネス関係者のようだった。昨日夕方レーゲンズブルグに着いてから、ちゃんとしたものを食べていなかったので、パンやトマト、チーズ類をパクつく。何より、暖かいラテが飲めるのがありがたかった。*ミュンヘンのホテルは部屋にケトルもなかったので、お湯を沸かせなかった。
お腹いっぱいになると、さっそく街に繰り出すことに。まだ朝7時半なので、気温は低く風が冷たい。昨日、パッサウが夏模様だったせいもあり、シャツの上に羽織るパーカーは部屋に置いて出てきてしまった。少し寒いが、歩けば体が暖かくなると思い、ズンズン旧市街へ歩き出す。
自転車で出勤中の人が多く、皆道をかっとばして走っていた。歩いている人は少ない。歩き出して10分ほどで旧市街に着く。まだ朝8時なので、開いているお店は少ないが、ごみ収集車や大型トラックが狭い道を行ったり来たりしていた。
レーゲンスブルクの大聖堂
ある路地に出ると、大聖堂の先端二つが見えた。その先端が見える方へ向かって歩き出す。旧市街は路地も狭く、ぎゅうぎゅうに建物が建っているので、大聖堂の全貌は、大聖堂の真ん前に行かないと拝めなかった。
大聖堂の右片っぽは改修中で、柵に覆われていたのが少し残念。
外のファサードの装飾は、パリのノートルダムを思い出させる細かさだ。ぐっと重いドアを押すと、中は思いの外、薄暗かった。ステンドグラスを通った陽の光が、暗めのオレンジ色になって柔らかく差し込んでいる。側面のステンドグラスは、ww2戦時中取り外して避難させていたようで、空襲を免れたオリジナルらしい。レーゲンスブルクは空襲はあったものの、そこまで大きな被害は出なかったという説明を読んだけど、どの程度街が壊れたんだろう?
正面左側に大きなパイプオルガンがあり、私たちが入った時、ちょうど誰かが弾いていた。
私たち以外の観光客は誰もいなかったので、薄暗く、パイプオルガンの音色だけが響く空間は、何だか今までいた街とは違う世界のように感じた。この大聖堂は、着工が1200年ごろで完成が1600年、約400年かけて建設されたとのこと。街のシンボルとなり、地元の人から愛されているのだろう。こんなすごい大聖堂が、自分の街にあればさぞかし自慢だろうなと思う。
街に残るローマの遺跡
大聖堂の裏から出て、ドナウ川にかかる橋を目指す。大聖堂から一本ドナウ川寄りの路地に、ローマ時代の門の一部が残っておいた。
175年、アウレリウスの頃に建てられたもので、当時は街をぐるっと四角く囲った壁があり、その壁の門の一つとして活用されていた。古代ローマの頃から、地理的に重要な街となっていた事が伺える。ほんの一部とはいえ、ローマ時代の息吹が垣間見えることで、街の歴史の重さを感じることができる。ローマの後はゲルマン人が来てぶち壊すのだけど。ローマ遺跡は、出会う度にその当時のローマ帝国の栄華と繁栄を思い出させ、またローマに行きたくなる。
ドナウ川にかかる橋
ローマの門からまた一つドナウ川寄りの通りに、有名な最古のソーセージ屋さんがあった。ぽつんとした小屋のようなお店だ。8時過ぎなので開いておらず、女性が1人テラスを箒で掃いていた。何時オープンですか?と聞くと、10時ですと答えてくれた。
ソーセージ屋さんを過ぎるとすぐ右がに橋への入り口になっていて、入り口アーチの上には時計台がついていた。
橋の途中まで渡ってみる。橋から川を見下ろすとドナウ川の流れがかなり速いことが分かる。もしこの川の真ん中に落ちでもしたら、相当流されるに違いない。勢いもあり、幅もあるドナウに架かるこの石橋は、ドイツでは最も古いものらしく、12世紀に建てられたとのこと。
ローマ時代に作られたコルドバにある石橋を思い出させる石橋だが、建てたのはゲルマン人。高度な技術はどこから持ってきたのだろう??
ヨーロッパの中世史は、高校の世界史程度の知識しかないので、ドイツの友人にでも聞いてみよう。
時間は10時前で、人影もまだまばらだった。相方がトイレに行きたくなり、一度ホテルに戻って休むことに。一応、重要な街の見どころはこの朝の散策で全て抑えることができたし、私もパーカーを置いてきたせいで体が冷えていたので、ホテルの朝食ルームで温かいお茶をいただくことにした。
この選択が正解で、やはり冷たい風に朝晒されたせいで、ホテルに戻ると若干頭が痛くなっていた。知らないうちにダメージを受けていたようだ。部屋に戻って午後1時頃まで休憩して、体調を見てまた繰り出すことにした。
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