【書評】『リンカーンとさまよえる霊魂たち』 幽霊の視点からみるリンカーンと南北戦争
最近自分の中で、初の海外文学ブームが来ている。このご時世でディストピア小説が読みたくなり、手に取った『一九八四年』がすごく面白かったのがきっかけ。(憂鬱なときにさらに憂鬱になる創作物を摂取するタイプ・・・)
うってかわって、本作はユーモアに溢れた歴史小説だ。アメリカ大統領のリンカーンが南北戦争のさなかに息子ウィリーを病気で亡くし、墓地で長い時間を過ごしたという史実から着想を得ている。2017年ブッカー賞受賞作。
墓でたむろする幽霊たちが主な登場人物である。彼らは生前に心残りがあり、まだ現世にしがみついている。その墓に新入りとしてウィリーの幽霊が登場する。幽霊たちは、息子の墓へ訪れたリンカーンに触れ、彼の思いや苦悩を知るところとなる。
この小説の最大の特徴は、全編にわたって当時の文献からの引用や霊魂たちの証言という形をとっていることである。鉤カッコを使った会話文や地の文というものが存在しない。一人の語り手ではなく、文献や霊魂のそれぞれの視点から語られるのだ。
面白いことに、同じ出来事についての描写が文献によって微妙に(あるいは全く)異なる。つまり、証言をする人やその時代によって、同じ出来事でも見方が変わることが示されている。実際、現在は功績が高く評価されているリンカーンだが、当時は好意的な評価ばかりではなかったようだ。作中で引用される文献にも、厳しい意見が散りばめられていた。
何年に何が起きたかという客観的な事実はそう変わらないにしても、人々の受けとりかたは歴史の波に揉まれながら変化し続ける。このことは、ひとつの視点から「こうだ」と決めつける難しさや危うさを思い起こさせてくれる。
もうひとつの見どころは、息子ウィリーの死をとおした、リンカーンの南北戦争に対する心境の変化だ。ウィリーが病死したのは、大勢の国民が南北戦争によって亡くなった時期だった。戦争のさなかに息子の死に直面し、長い時間を墓の前で深く悲みつつ過ごすのである。自分が大きな責任を持つ戦争で亡くなった多数より、個人的に大切なひとりの死に深く悲しむのは、エゴイスティックともいえるだろう。
しかし彼は同時に、大切な視点を獲得する。自分にとっての息子ウィリーと同様に、戦争に参加する一人ひとりが誰かにとってかけがえのない存在であるということだ。出兵した人々の命の重みを感じつつ、奴隷を解放することの意義深さを再認識し、南北戦争の完遂への決意を新たにするのだ。
技巧的な表現方法が注目される本作であるが、ユーモアたっぷりに歴史のすきまを想像させてくれたり、リンカーンの人間的な一面に迫っていたりと、内容的にも見どころの多い小説であった。