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書けなくなったかもしれない

詩が、曲が、書けなくなったかもしれない。

『ダンボール箱をかぶったアイドル・アーティスト』として活動し始めて7年目。これまで幾度となくスランプに陥ってきたが、今回は、本当にもうダメかもしれない、というところまで来ている。

『DONSYΔRI』というアーティスト活動をするにおいて、目標だったことは、まず「成功すること」。ただこれは定義がかなり曖昧で、ともすれば自分を無闇に傷つける材料になりかねない、諸刃の剣的な目標だ。

「成功」の定義を考えた時に、まず頭に浮かんだのは「お金に苦労しないこと」。中流階級で育ち、生まれてこの方本当の意味で「貧する」状態に陥ったことはないが、生きることで発生する金銭の多さにはいつも言われのない不安と、生きているだけで消費することから生まれる罪悪感を抱えて生きてきた。浪費は好きだ。好きな時に好きなものを食べて、クーラーとか気にせずつけたいし、本も読みたいものを買って読みたい。決して贅沢すぎるとは言えないが、生活に余裕が無いとできない話だ。私は、ずっと、何も気にせずそれがしたかった。しかし、だんだんと「お金があっても不安は消えない」ことがわかってきた。お金で解決できる問題は多く便利だが、それが全てではない。こういう思考がそもそも「本当に貧してない人のやつ」と言われたらマジでそれまでだけど、あってもなくても、違った種類の不安に苛まれることは間違いない。こう考える時点で、私が「あてどもなく金持ちを目指すこと」に向いてないことがわかる。
たしかにお金は大事だから、生きていく+αで、「気持ちよく生きる」ためのお金は稼ぎたい。だけど無闇矢鱈と利益だけを目標にお金を稼ぐのは向いていない。じゃあどうしたらいいか?

私が出した答えは「自分の才能でお金を稼ぐ」を目標にすることだった。「好きなことで生きていく」という言葉が流行ったように、少しでも自分の才能に自信があるやつなら、これを目指すのはおかしくないだろう。

でも結局それも、「好きなことをしてお金を稼ぐ」から、いずれは逆転して「お金のために好きなことをする」形に変わっていくだろう。果たしてそれを目標としたときに、自分の心は死なないか?単純な話で、「好きなことを嫌いにならないか」。これがずっと不安だった。

そしてその疑問に差し掛かった段階で、私は目標を変えた。とにかく「好きなことを続ける」を目標にした。
「続けたから結果が出た」や「続けた人にしか分からない成功がある」やら言われるが、そういうことじゃなくて、とにかく「好きなことを続ける」ことをしたかった。

私の好きなことは、「曲を作ること」、「詩を書くこと」、「一貫した世界観のものを作ること」、「文章を書くこと」、「これらを見てくれた人や自分を喜ばせること」。
自分の好きなことを続けることで、自分も、人も喜ばせること。見てもらうこと。評価されることではなく、とにかく喜んでもらうこと。

でも最近、それすらも難しくなってきた。
最初にスランプを自覚したのは、DONSYΔRI3年目の夏。初めてのアルバムを出して、燃え尽きていた。2回目のスランプはDONSYΔRI4年目の冬から春。対人トラブルと就活でパニック障害・鬱になり、治療のためにSSRIを服用する日々。太ったけど、希死念慮はだいたい消えて、その次の冬には、薬を飲まなくても良くなった。でも、飲んでいる間に、普段あんなにぐるぐると余計なことを考えていた頭の回転は鈍くなり、良く言うと雑念が消え、悪く言うと創作意欲が無くなった。そして3回目のスランプは、DONSYΔRI7年目の今​──────
昨年9月から進行していたDONSYΔRIソロ名義初のEP制作は、丸8ヶ月たった今も完成していない。協力者が増え、一緒にものを作っていくのが難航したことも原因の1つではあるが、そもそも私が、曲ならびに歌詞を、何ヶ月経っても書けなかったことがデカい原因。

何もしてなかったわけではない。曲を作ってはいたし、歌詞の赤ちゃん(歌詞になる前の走り書きメモ)もいっぱい貯まった。だけど、そのどれも自分を納得させられるクオリティのものではないように感じてしまう。
自分が好きになれないものを、人におすすめすることは難しい。そういう考えが先行して、作りたいものはあるのに、力不足で作れない。早く仕上げなくてはと焦る一方で、これまでの貯金の大半を使って制作している分、下手なクオリティで終わらせることはできない。でも、自分だけではなんともできない。人に頼ってみても、上手くいかない。


そのうち段々、成功している(ように見える)友人やクリエイターが疎ましく、恨めしく思えてくる。
DONSYΔRIを面白がってくれた人は、DONSYΔRI以上に刺激的なものに飛びつき、私の前からは誰もいなくなったように感じる日々が続く。
恨めしくて、羨ましくて、情けなくて仕方がない。

並行して仕事が忙しくなってくる。ほぼ休憩無しで12時間弱働き、週2回ほど我慢できず、帰りの電車で咽び泣く日々が続いた。DONSYΔRIの活動を少しでも進めるために、行き帰りの電車で詩や曲を書く、書く、書く。だけどだんだんと回転し続ける脳は疲労を訴えはじめ、何も考えられない、無の時間を過ごしてしまうことが増え出す。
ついに全身に蕁麻疹が出たが、仕事は微妙に休めず、病院に行き、仕事をしに戻り、遅くまで会社にいる感じで、なんかなあなあに完治しないままでいる。

DONSYΔRIでいられる時間が少ない。
かといって、本名の自分を本当に生きていると思える時間はもっと無い。
お金は必要で、死ぬことも考えたが、それもそれで金がいる。
何があれば私の日々は安心できるの。
何があれば私は自分に満足できるの。
何をすればこんな日々から抜け出せるの。
noteでカスポエムを書いて、脳のゴミを吐き出す。
DONSYΔRIとして知り合った人に会いにくくなる。
DONSYΔRIとして、活動ができていないことを嘆くフェーズは、次第にDONSYΔRIであることを嫌いにさせるだろう。

年齢的にめちゃくちゃ焦りがある。
創作を続ける人と続けていない人の間で、話が噛み合わなくなってくる。
自分は、続けたくてもがいている人なので、その間の感じになる。どちらも理解できるが、どちらにも合わせられない。

私が死んだら、インターネットの青い海に、骨を撒いてください。
もし生きて帰ってきたら、その時は聴いて欲しい歌を持ってきます。


しばらくR.I.P、DONSYΔRI。

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