祈りと愛とわたしたち

愛を形容するに、どんな言葉を使うのが正しいだろう?

それは時と場合により異なり、愛の定義(何をもって感情を愛と呼ぶか)にもよるだろう。


私は、愛とは無償の、誰かを慈しむ気持ちのことを言うと思っている。
恋とはちょっとちがう、誰かと付き合って一緒になったり、傍から見て幸せな関係でなくても、そこに愛が存在することは多々ある。

大好きな言葉がある。
꽃길만 걷자 (花の道だけをこう)という、韓国語。
韓国のアイドルを見ている時に出会った言葉で、これをファンがアイドルに向けて言うことも、アイドルがファンに向けて言うこともある。

「花の道だけを歩こう」ということは、何を意味しているのだろう?
見ていると、多くの場合、「これからあなたが歩く道に、人生において、つらいことや悲しいことがありませんように。幸せとばかり縁がありますように。」という意味で使われることがわかった。

この言葉が好きな理由は、私のつたない言葉では全て言い尽くせないけど、一番の理由として、この言葉が大きな「愛」を、「祈り」と解釈しているからだと思う。


「愛」の本質は、「祈り」なのかもしれない。
この言葉にも表れているように、誰かの人生において、自分ができることなど微々たる、些細なもので、誰かを傷つけるものや怖がらせるものを取り除くことは、とてもとても難しい。
相手から好意が返ってくることを、期待せずに慈しみ続けること、それは「祈り」に似ている。


冠婚葬祭程度しか宗教性を意識しない私たちだけど、この世に神さまはたくさんいて、神さま相手じゃなくても祈りを捧げることは、たくさんある。


2019年も、私の素敵な人々が、花の道だけを歩きますように。



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