私は吹奏楽が嫌いだった

暑い部室、主張の異なる部員たち、若さを犠牲にして良い音を求めること、そのどれもが嫌いだった。

私は幼少期よりピアノを習い、小学生時代にアニメけいおん!を見て、父のギターを勝手に弾き始めた。
中学に上がると、運動部は嫌だし、音楽が好きということでちょうど良いからと、吹奏楽部に入った。どの部活もそうだけれど、先輩後輩の縦社会はなかなか厳しくて、音楽よりも人間関係がうまくなる必要があるな……と思ってしまう日もあった。
担当楽器はパーカッション。最初の希望楽器は何だったか忘れてしまったが、希望通りではなかった気がする。パート内の雰囲気は良好。キツくもなく、優しすぎない先輩とよくできるわけじゃないけどかわいい後輩の間で、まじめに練習したり、たまには息を抜いたりしていた。

顧問と揉めたりしたけどなんとか引退、卒業を迎えて私は地元の進学校(笑)に進んだ。いい学校ではあったが、あれは本当に進学校なのだろうか。
私は中学の頃吹奏楽をしていたが、その人間関係の難しさと、担当楽器がいわゆる「縁の下の力持ち」的であることから、そこに退屈さを感じ、別の部活動をしようかなと、高校入学当初は考えていた。パーカッションは、音楽に幅と奥行き、そしてなによりも聴く人に情景を想い浮かばせるための大事な楽器群である。が、練習は他の楽器に勝るストイックなもの(当時そう思っていた)で、悪くいうと、他の管楽器と違って、誰でも音が出せるから、実際にパーカッションパートでない人間から舐められがちなのだ(と、当時思っていた)。放課後3時間近く、板を同じ速さで叩くこととトライアングルとひたすら向き合うだけの時間を練習と呼ぶのだ(いろいろあるけど)。実際に練習していると結構キツイ。変なゾーンに入り始める。


やっぱり人は花形に憧れる。派手で目立つ箇所がたくさんある楽器をうらやましく思うことがよくあった。目立つ楽器の人が担当箇所をよく練習していないとこに目がいってしまう。私は縁の下の力持ちだけど、そこまではカバーできない。自分一人が練習をどれだけ頑張ったところで、他の人も頑張っていないとうまい演奏にはならない。そういうところにやるせなさを感じることが多かった。





私はなぜか、高校でも吹奏楽を続けた。しかも担当楽器はパーカッション。
高校の吹奏楽部でも、中学の時に感じたことと同じことを感じていた。人間関係は面倒だし、コンクール前になるとだれか絶対泣くし、相変わらず縁の下の力持ちを続けていた。



一瞬だけ、言葉では表せない、すべての音が「ハマる」瞬間がある。
合奏の醍醐味とはそこにある。今思えばその一瞬に出会うために、飽きそうなぐらい長い時間を吹奏楽に費やしていたのだろう。若さを犠牲にして。



音がハマった瞬間の快感は何物にも変えられない。
いわば楽器同士のコミュニケーションが成立した瞬間だ。自分が見ている相手が、自分のことを見ている。一挙手一投足を同じくして、同じ空気を味わう。その場にいる人間の間にだけ、どこの場とも隔絶した別の空間へ行くことができるのだ。たぶん。そんな風に感じていた。


およそ6年にわたる(5年かもしれない)吹奏楽人生の中で、数えるほどしかなかった瞬間だった。だけどいまでも鮮烈に覚えている。
樽屋雅徳氏の『マードックからの最後の手紙』という曲がある。後にも先にも、この曲を演奏したときに勝る異常なまでの空気感を体験することは、もうあんまりないような気がする。それはバンドの演奏内で音がハマった瞬間とはまた別の感触がした。



私は、吹奏楽が嫌いだった。
音楽は楽しくなくてはいけない。それを忘れそうになることが多くあった。
だけど楽しむためには、ある程度の技術が必要で、その技術の習得のためにいろんなものを犠牲にした(いうてそんな、大した腕じゃないけど)。

だけどあの瞬間は、吹奏楽をしていなければ知ることができなかったと思う。
めちゃめちゃな時間を費やしてしか得ることのできない瞬間だった。あのときを別のことに費やしていたら、今頃全く別の人間になっていただろうな。

二度とあの頃には戻りたくないけど、あのとき出会った曲たちには、はちゃめちゃに影響を受けたし、いまでも思い出したように聞く。

次若さを無駄にするとき、その時は私が、吹奏楽曲を作るときであってほしい。

楽曲制作頑張ってます。頑張ります。

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