But life is still going on...
いつからか、このフレーズを月一回ぐらい口ずさむようになった。
仕事で失敗した時。
えも言われぬ不安に襲われた時。
シンプルに寝れなかった時。
コロナになった時。
不意に人を傷つけてしまった時。
辿り着けたかもしれない、(少なくとも当時の僕にとっては)素晴らしい未来を諦めなければならない、と思った時。
それでも、人生は死ぬまで続く。
嘆いても腹は減るし、反省していてもいつか眠くなる。
そしてどうやら、僕は自殺するほどの勇敢さを持ち合わせてなかったようだ。
だから、嘆くようにつぶやき、泣きながらでも飯を作り、食う。
鶏もも肉を酒と大蒜生姜で漬け込む。
ほうれん草と人参を下茹でする。
肉をオリーブオイルで焼き、そこにトマト缶と大豆の水煮、あさりを入れる。
コンソメで味を整える。
鍋いっぱいのスープを3日かけて食い切る頃には、事態はさらに変化している。最早どうにもならないかもしれない。もしかしたら、泣いてないで、飯を作ってないで、とにかくがむしゃらにやっていけば、取り戻せたのかもしれない。
でも、仮にここで取り戻しても、どうせまた何かトラブルは起きる。完璧超人でもないのに、どうしても完璧主義が顔を覗かせる。だから、このまま死のうが生きようが苦しみはあるのだ。
このスープの調理はそこそこ忙しない。常に次のステップのことを考えていないと、すぐ肉や野菜が焦げる。だから益体もない思考をしている場合ではない。
そして出来上がったスープは、お世辞にも保存性が良いとは言えない。だから二三日はスープと米と、たまに卵を食べるぐらいしか取れる選択肢がない。生活から意思決定の隙がなくなる。
そうしたら、鍋からスープがなくなった頃には、僕の人生は生きながらにしてゼロに戻る。ロットを乱された冷食、荒廃したプラン、遠くなった願望。一つも本物にならない、ガラクタだらけの軌跡。
そのしょうもない現状を俯瞰したときに、ふと口に出すのだ。
But life is still going on. So, What will I do?
全てを断ち切ったのだから、「何もしない」か「もう一度立て直す」しかない。そして立て直し始めると、だいたい人生はどこかに転がっていく。
だからこそ、足の留まったその一時こそ、有意義なものになる。もう一度同じ道に行くもよし、そのまま寝転がるもよし、別の道に行くもよし。何にせよ苦しみがあるのなら、せめて望んだ苦しみを得られるように。
ガラクタだらけの人生でも、それでも生きている。これは嘆きのままに、祝福でもある。
だから僕は定期的に、このスープを作り続ける。