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ストレッチ

最近毎晩夜寝る前にストレッチをしている。股関節と内もも。
もうとにかく硬くて。開脚して前に倒そうとすると1°たりとも曲がらない。体操選手と同じ生物なのだろうか。本当に同じ骨格構造をしてるのだろうか。違うんじゃないかな。違うってことにしてくれ。

そんな妄言はともかく。
ストレッチというものは、とにかく動かせばいいというものではないらしい。自分の筋肉・骨格がついていく範囲を超えて無理やりに動かしてしまうと、いや良く覚えてないんだけど、逆に硬くなっていってしまうようだ。

まあ、そんなことを考えながらぼんやりとストレッチをしてたら、一時が万事全部そうだなあ、という気がしてしまった。すぐ「一事が万事」と思ってしまうのは僕の悪い癖なのだけど。母の口癖だった。

とあるアーティストが、すべてを破壊しようとし始めた。どうも再生のための破壊だと。このままではいかんのだ、と。
なんだか様が開脚した状態からペターンという感について行こうとするような。そんな「極端な」……と言ったら、もしかしたらおかしな話なのかもしれないけど、少なくとも僕にはできない揺さぶり方に聞こえた。

僕は確かに「定期的に立ち止まる」っていうことを大事にしたいと思っているけれど。それはまた明日、同じような活動がつながっていくだろうという推測のもとだ。
生活がつながり続ける、綱渡りのように最適化されてることを求めるのは、あんまり健康的ではないよね。

今動く範囲から、ちょっと元気な時にはもう少しだけ振り幅を持たせる。揺すってあげて、置きどころをよくしてあげる。それぐらいでいいと思ってる。それぐらいしかできないから、良いということにしたいのかもしれない。

もしかしたら、プロの世界で生きるというのは、僕ぐらい凝り固まった筋肉ではやっていけないのかもしれない。彼には彼に合った角度のストレッチっていうものがあるのかもしれない。僕のストレッチとかでのストレッチが違うだけだ。

だとするなら、僕が生きられる世界というのはプロの世界ではないということになるのだろう。そもそも股関節の柔らかさ、内腿の柔らかさで勝負してはいけないという話なのかも。
結局のところ、自分を労るためのストレッチであるなら、誰かに唆されたままではなく、自分に合ったストレッチの形を取るしかないのだ。

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