短編「そらみみ」
短編「そらみみ」
雪が降る予報がでていた。ストーブに給油して置かなければ。灯油タンクを取り出した。花冷えの庭先を通り灯油のドラム缶が置いてある物置に向かう。ドラム缶に差し込んである特大の手動のサイフォンからコポコポという液体が流れ込む音が聞こえだした。
あ、何かの電子音が鳴っているようだった。ピピピとも聞こえるから何かの警報かもしれない。キョロキョロと見える限りの外を見まわしてみるが異常は無いようだ。それとも、老化で聞こえるようになる音というのもあるのだろうか。それは、愉しいなあ。ストーブタンクがいっぱいになっても音は続いた。まだ、微かに聞こえる。重くなったタンクを持ち上げ家の中に入ると電子音は鳴りやんでいた。
聞こえなくなったことですっかりその事は忘れた。
夕刻になって、ご飯の支度をしようと冷蔵庫を開けたり閉めたりしはじめた時だった。取り出した豆腐の水切りをしていると、カンカンという半鐘が遠くから聞こえた。消防車も走り回っているようだ。近いなら取り敢えず場所ぐらいは確認しておかなくちゃ。
ばたばたと家の中の火元を見直して外にでると、隣の家の奥さんが暖かそうなダウンを引っかけてこちらに向かって歩いてくるところだった。
寒いね、風が。
火事、あそこだよ。
指された方をみると、夕刻の空が赤々としている。
うー寒っ、火事大丈夫だよ。
随分鎮まったよ。さっき消防車が行ったし。
そういえば、半鐘鳴っていたね。
いまでも、櫓に上がるんだね。
え、鳴った?聞こえなかったよ。耳がいいねえ。
家の方にまで火が回って来ないのが分かったので、ヒューという風から逃げるように、急いで二人とも家に戻ることにした。
またね、バイバイ。
おかしいなあ、カンカンって聞こえたよなあ。
次の日、野次馬根性で火事があったというあたりに行ってみた。水があたり一面に流れた跡があり、黒くなった材木がまだ残っていた。
櫓・・
櫓のことを思いだし、近くにある櫓を見上げた。櫓は家の2階建てくらいの高さがあり、錆びた鉄鋼造りであった。高さはあるが登って半鐘を鳴らすほど使い込んでいるようには見えなかった。きのう聞いた半鐘の音は消防車の鐘だったのかもしれない。使っていないだろうということを見届けると櫓が一層寒々と見えた。地元の消防団員だって、いまどき半鐘を鳴らしに櫓に登らないだろう。いったいいつの話をしているのだと、フッと笑いがこみ上げた。
家に入ると、またあのピピピという電子音が聞こえてきた。鳴っている方向に廊下を伝っていくと、音は子供部屋の中から聞こえているようだ。
あった、あった。古いスマホ。そういえば目覚ましとか、タイマーとして使うと言っていた。
紛らわしいよ、と帰ってきたら言ってやろう。了