好きな色が、変わる時
今まで使っていた携帯を、ついに機種変更する事にしました。
気付くと7年と11ヶ月……
これまで、「人一倍面倒くさがりで、雑な買主に引き取られた」という境遇の中で数々の試練を乗り越えながら、その風貌も使い心地も何の問題も無くずっと私のそばに居てくれましたが、充電ケーブルが破損しかけてるのをきっかけに、とっくの昔に終了していたサポートや、バッテリーの消耗が早すぎる現実は、さすがにもう否めなくなりました。
何かと手続きや時間がかかりそうなのが面倒で、予定を延ばすに延ばした結果、やっと今日重い腰をあげることにしました。
お店でスムーズにいくよう、欲しい機種や料金などある程度の事は事前に調べていたのですが、今のご時世に私の考えは甘すぎたようで、店舗で機種変する場合の手数料は、思っていたよりプラス一万以上の差が出るということが判明。
10分くらい悩んだのですが、どうしてもGOサインが出ず、お店の方には謝罪し、自分の力でオンラインでの機種変更を試みることに決め、お店を出ることにしました。
家に帰って、色々考えてました。
今まで、「お金さえ払えば何とかして(解決して)貰える」って、思ってたなあと。(決してお金を持ってる訳では無く、そこに掛る自分の労力は極力裂けたいって意味)
で、その度に、何かと、「自分に出来ること」「やってみる」ってこと、やって来なかったなあと。
で、ポロっと出てきたのが、「あたし『生きる』の、怖かったわ」って。
それってまるで、まだ誰にも開拓されてない霧に覆われたまっさらな土地を、たったひとり手探りで進まないといけないのに、自分の両足を誰かの手でガッシと掴まれて、身動きが取れなくなって余計に怖い恐怖といいますか。(色々出てきて時間がかかりそうなので、ここで詳細は省きますが…)
でも同時に、オンライン機種変の説明書を隅々と読んでいる私はどこか、自分の「こうしたい」を形にする為、その材料をひとつずつ選んでいくワクワク感に、地味に喜びを感じてることにも気付きました。
「自分の力で出来るんだ」って思ったら、単純に嬉しかったんですよね。
そんなこんなで、思いもよらない恐怖が出てきたり、自分の人生経験の浅さを改めて痛感した出来事(まだ機種の注文をしただけ)となりましたが、実はもうひとつ。
新しい携帯ケースを探していて、ビビっと惹かれて即興で決めたのが、淡いグリーンだったという自分に少し驚いてます。
恥を忍んで書きますが、20代からずっと自分の好きな色はピンクだと思い(込み)、その名残りが、今でも私の身の回りを制しているのですが、実際は周囲に女の子らしいと思わせたかったが故の選択だったのではないかということが最近になって判明してきたことで、自分が本当に好きな色はなんなのかイマイチ分からなくなっていました。
むしろ昔から緑色が好きで、真緑のセーターを堂々と着てしまう父のことを、自分だったら絶対に選ばない色ナンバーワンの意味でどこか小馬鹿にするくらいでもあったので、今更ながら家の外壁が緑なことも、緑の木々に囲まれたこの場所も全部ひっくるめて、改めて愛おしくなってる自分がいます。
自分の好きなものが明確になるって、自分だけのオリジナルを見つけたようで、なんか嬉しいですね。
改めて、人は嫌でも変わるんだなって、ずっと同じじゃないんだなって思いました。
同じ場所で、ずっと足踏みし続ける今の自分の背中、また押しながら、進みます。