見出し画像

ボクが、「欲しかった」もの


ペットのリーディングを通じて、すごく興味深い経験をしました。



師匠の家の「ボン」は、品のあるグレーの毛並みと、透き通った薄グリーンの目が美しい、見た目がロシアンブルーの男の子。
でもその風貌とは裏腹に、なんとも言えない「やさぐれた」感じと、威圧感(なんか文句ある!?的な)が、私が写真を見て初めに思った印象です。


で、このボン、全部で七人いるうちの「もちこ」(スコティッシュフォールド ♂)とはどうも相性が悪いらしく、一方的にボンの方から喧嘩をふっかけては、結構熾烈な争いの結果、何度ももちこを病院送りにしたそうで、そこが師匠の悩みの種でもあるとの事。


ちなみにもちこはというと、一歩下がって高いところから全てを見渡すようにどっしりと構えていて、何があっても動じない「揺るがない」自分を持っているような様子がとても印象的。

「ムカつく」
私は初め、単純にそう思ったんです。
ボンから見たもちこは、自分にはどう頑張っても手に入れられない「何か」を持っていて、喉から手が出るほど欲しいそれを、悠々と手にして見えるもちこがそれは目障りで(本当は、羨ましくて)仕方ないんじゃないかって。

師匠のお話によると、ボンは保護猫(三兄弟)で、他の子はすぐに貰い手が見つかったものの、彼だけは見つかっても「返される」という経験を何度かしているそうで、師匠の家に来た時のボンの写真はまさに、必死そのものといった、「二度と離してくれるな」的な、そんな表情。


一方でもちこの背景もこれまた複雑なようで、師匠との出会いは野良っ子でしたが、あの堂々たる風格や品種から元は誰か(おじいちゃんかおばあちゃん)の飼い猫で、その人が亡くなったから、家族が捨てたというような印象を、師匠は受けたそうです。


言い方は悪いですが、言わば「たらい回し」のボンと、たとえそれが一時的でも、飼い主からの深い愛情を知ってるもちこ。
そういった意味では師匠も、今まで特にボンに関しては、お家や爪とぎなど彼専用の物を与えたり、抱っこしながらの感じ切りと、分かりやすい形で「特別」な愛情表現はされてきたそうですが、彼にとってはそのどれもが、「そうじゃない」よう。


その、まるで「外側で起きてることは全部把握してないと気が済まない」とでもいったように、終始不安に駆られて忙しない様子から、他のねこ達からもどんどん煙たがられる存在になってしまっていたようです。


一見、みんなが喜びそうなものを与えたところで、どこか「煮え切らない」といったボンの様子が私の中ではどうしても腑に落ちずリーディングは難航しましたが、ふと、師匠の過去の経験談で、とある犬をヒーリングした際に「脇腹」が気になったというお話を伺いました。

その話を聞きながらボンの写真を眺めていた私は、なんとなく彼の首が気になり、だんだんとそこに「赤い首輪」のようなものが見えて、「ああそうか」と。
「なくならないものが欲しい」と言葉にしたことで、その瞬間やっと自分の中で、腑に落ちたような気がしました。

私達人間の「家族」は、同じ「血」で結ばれていることで、例え全員が同じ場所にいなくても、それが「繋がり」のある「証」にはなるけれど、それが無いボンにとっては、どんなに師匠から優しい言葉や特別な物を与えられたところで、「また、いなくなる(家族が)」不安は拭えなかったんじゃないかって。


でも、首輪(赤くて鈴が付いたもの)を身につけることで、その触感や、チリチリ音が鳴る度に「ここのうちの子」を実感出来るから、それが彼にとっての安心に繋がるんじゃないかって。


ボンにとっての「なくならないもの」とは、そんな「絆」のことを言っていて、それは、私達人間にとっては「目に見えない」ものであっても、彼にとっては「目に見える」形でのそれを、ずっとずっと探してたんじゃないかって。

私の中で師匠のうちの子は特に、自由度が高いイメージ(自立してる)の子達ばっかなので、「正直、首輪って……」という思いはありながらもそれを師匠に伝えたところ、また即興で、赤い毛糸で編まれたあったかそうな首輪を着けたボンの写真が送られてきましたが、その表情、さっき(オラオラ系)とはまるで違った、なんともこれまた「ご満悦」気に、すっかり落ち着いてる様子。

更に翌日以降は、首輪からマントにバージョンアップされたようで、今までのような他の子に対する威圧感も緩和されたと言うことでした。(マントも自分で外してないよう)


師匠はこのことを「やっと、ボンのピースが揃った」と仰ってましたが、このことから私は、人も動物も物も、それぞれ本来の姿で生きる(人生を謳歌する)ために欠かせないピースがあって、私達はそれを「ちゃんと見極める(欲で選ばない)」必要があるんだってこと。

また「生きる」とは、その存在を「全う」することで、それは同時に、そのものの「役割を果たす」ことでもあるということ。

同時に私達は、自分の元に集まる(選ぶ)全てのものを「生かす」必要があるということ。

それが、「魂の願いを叶える」ということ―


と、一見なんとも壮大なお話のようで、実際はそんな大それたものではなく、少なくとも私は今、自分の喜びに繋がるような物の「生かし方」を、これからも追求していきたいと思いました。













いいなと思ったら応援しよう!