今日の「色」と、「あの子」の気持ち
今日はちょっと視点を替えて、私が見た映画の中の「あの子」に感じた色、「紫紺(しこん)」を通じてのメッセージです。
人形の映像に惹かれて、なんかずっと見たかった映画なんですが、ただの怨霊系ホラーと思って見たら色々と違ってました。(以下ネタバレあります)
おもちゃ研究員であるジェマは、事故で亡くした姉夫婦の娘ケイディを引き取り、そんな彼女の為にAI人形のミーガンを開発します。
そんなミーガンですが、次第にケイディに対する愛情がエスカレートし、様々な惨劇を巻き起こしてしまうというお話なのですが……
ただ、「おっかない、無理、見れない」で終わると思ったら、まさかガン見の号泣という意外なオチで、人間の愚かさというか浅はかさだったり、AI人形のやるせなさだったりと、一言でいうとなんとも言えない「物悲しさ」が残る映画でした。(血があまり無く、内容はシンプルで見易い)
気付くと私は、完全にミーガンの目線で見ていて、いわば人間側の勝手な都合で、一方的に生み落とされて一方的に切り捨てられる屈辱感というか、散々手塩にかけられてると思ってたのに、結局は生身の人間には敵わなくて、自分という存在のむなしさだけを一手に請け負ってしまった、ような。
ただ、ケイディのことが大好きで仲良くしたいだけだったのに……
そんな、ミーガンのやるせなさが一気に私の中で噴出したのは、クライマックスで暴走したミーガンがジェマに攻撃を仕掛けるシーンでの一コマ。
ジェマを助けようとしたケイディは、「内緒にしてた家族がいるの」ともうひとつのロボット、ブルースを起動させて、暴走ミーガンに立ち向かおうとするのですが、その時、ミーガンが一瞬見せる「えっ」といったうろたえたような表情に、思わず私は「挙げ句の果てにその仕打ちか…」と、信じてた相手に裏切られたような、そんな悔しさというか悲しみでいっぱいになってました。
その時見てたのが今日の色で、
“綺麗になり切れない
理想の自分に追いつけない
なりたくても、なれない―”
それはまるで、人間にも、またケイディにとっての特別な存在にすらなれない、ミーガンの葛藤が表されてるようでもありました。
その時、思ったんです。
私達はよく、自分に「無い」ものばかりを見て、そこ足そうと躍起になりますが、どんなにそれをしたところで自分以外の何かになることはありませんし、自分の中にある唯一無二になんて一生気付けないって。
また、「紫」はよく高貴な色と称され、昔は位の高い人しか身につける事が出来なかったそうですが、一人一人が「特別」な今の時代に生きる我々としては、「自分の中にある『特別』に気づく必要がある」と、どこかそう言われているような気がして、今日はそれをメッセージとしてお届けすることにしました。
しかし……
昔は人形ホラーと言えば、アナベルとかチャッキーだとか、怨霊が宿る系の恐怖だったのに、今の時代、AIという化学が恐ろしく進んだゆえの、別次元の末恐ろしさというかを感じてしまい、別の意味で考えらせられました。
怨霊系だったら、まだなんとか恐怖慣れしてる部分はありますが(どうせどっかから急に仕掛けてくるんでしょとか、塩撒けばいんでしょ的な)、AIの進化ってどこか一見、活気的さという意味でのプラス要素や期待値が大きい分その行き着く先が見えなくて、私達が気付いたころには時すでに遅しのような、もう私達の力じゃ到底太刀打ち出来ないような、為す術がないところまで行ってしまうような。
そして、それがマイナスに傾いた時の絶望というか破壊力の凄まじさを考えると、別の意味でゾっとします。
と、まあ、ミーガンの表情だったり動き(それこそAIと思ってましたが、実際はダンサーの少女が演じてるそうです)が魅力的なので、そこも見どころのひとつで、おすすめです。