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嘘でも、自信を持って愛でも呟かれたら。

「誰でもよかったから、貴方と付き合うことにしました。」なんて告げられ方をされたら、内心腹でも立ちそうだ。ただ、それとは反対に「貴方以外には考えられないから、付き合ってください。」と告げられるのなら、私は少々その言葉に対する不信感を抱くように思えた。

前者の、誰でもいいという発言の中には、なんら特別感もなく、相手に対する敬意すらも感じないからとして、理解ができそうだが。後者の、貴方以外には考えられないという発言の中には、多少の嘘でも混じっているかのような、疑心でもしている部分が自分の中に感じられてしまうところがあって。

例えば、私がまだ世間をあまり知らない状態で、純粋にもそんな一見優しい言葉を告げられていたとしたら。素直に受け入れられてしまえるのかもしれないが。ふと、身の回りの世間なんか見渡してしまえば、世の中には自分よりも抜きん出ていて、優秀そうで魅力に溢れている人々なんかがごまんといるじゃないか、と。なんとなく、そこまで真剣になられている理由と、その真剣さに対する誠意を、言葉だけでは到底素直には受け止められそうにない気がしたから。

言ってしまえば、そのような言葉を告げてくる本当の心意の部分を、自分にこそ疑いたくなっているくらいだ。ある程度、自分の自信なんかを、自分から削いでしまっているんだと思うが。そのおかげで自信がないからこそ、相手の言葉を軽々しく受け止めないようにしていたい節さえもあるのだろう。

そうやって自信を持って言われていた言葉だとしても。その瞬間にだけ、そう思えていたから言ってくれただけで。それから先には、そんな気持ちさえ忘れてしまって。少しずつそうには思えなくなってくるんじゃないかなどと、将来的な要素でもどこか相手を疑いたくなる。

やはり、どこか自己責任の部分があるように思う。自分のことを正しく理解しようとしたら、必然的に世間と自分とを少なからず比べるものだけど。比べてみてどの程度、他人と自分とには違いがあるかと確認をし。自分の立ち位置とか、心の持ちようなんかも変わって来るものだと思えるが。自分の未熟さからして、ちょうどよい、執着もせずに、執着もされずに。バランスの整った恋愛にこそ安心感が芽生えてくるように思う。そこには、それほど自分に過信をしていなければ、幻滅もしたくないからであり。

それほどに執着されてしまう意味について、信憑性のようなものが、どうも自分の判断材料の中に持ち合わせていないように思えてくるから。妙に「私は、貴方が思うほど...」という、否定するような重苦しささえも感じるよう。誰かに好かれることは嬉しいことではあったとしても、喜ばせようとして伝えてくれた、そのような言葉には今後の保証なんかもなく、期待を裏切られるような心意が、今後にもしもあったと想定するのなら。それが、逆に嬉しい言葉ではなくなるだろうとさえ考える。

あまり他人の言葉に信用をしたくないのは、信用なんてものは過信を強く抱き過ぎてしまうほど。嘘であった時の、その後に来る負の反動のようなものが大きくなるような気がするからで。人付き合いというのは、そうした信頼の中で成り立つのだと思うけど、やっぱり自分自身があまり他人の信用を大きくしたくない分、他人からもあまり信用されていなくてもいい節があって。

そうして自分にとって都合の良い恋愛の感覚というものの答えを思うと。単純な自信に溢れた言葉よりも、もっと簡単に裏切られることのない関係性の維持にあるように思えている。

面倒くさく、ただ素直にはなれそうにない恋愛観。

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