【子供に上手くいく事を願う親はいない】
僕は普通の人間だ。
親は、そんな僕を見て「立派になった」と認めてくれるだろう。
親からしてみれば、僕が普通に育ってくれればそれだけでいいと思っている。出世しなくても、平凡な会社員として、各々生活を自力で出来るくらいで、それで良い。生きていてくれたら十分だ。
じゃあ、例えば、僕が無謀な夢を追い始めたらどうなるか?
親は「やめておけ。無理だから。」こう言うだろう。ただ、これは「がんばるな!」って言ってるわけではない
だって、頑張って上手く行ったら、きっと親は喜ぶはずだ。むしろその反対、失敗して欲しくないから「やめておけ」と言うんだ。
成功があれば、失敗だってある。
親は失敗を望まない。ただ、世の中で、成功する人ってごく一部で、失敗してしまう人の方が圧倒的に数が多い。
だから必然的に、成功を願う事、その行為が無責任なってしまう。
「こんな夢を追いたい」って、親に伝えれば「無謀な夢を追いたい」と言ってる様なもんだろう。
「無謀な夢は初めから追う必要なんてないから、普通の会社員として勤めて、安定した生活を送りなさい」って心配して言いたくなる。
ー夢なんて叶えなくても生きていけるのだからー
僕には「でっかい夢」も「理想」も抱いていないけど。
もし抱いてしまった時、絶対に親には言わないだろう。親に言っても、必ず否定されるだろう。その言葉で僕は夢を諦める事になる。
失敗して、やり直しが効かない。良い歳した大人になった時、お金も無ければ、何も手元に残っていない、手に職もない状態に僕がなった時、そりゃあ、親も悲しむだろう。
親が悪いわけでは無い。親に愛されているからこそ自分の息子には失敗をしてほしく無い。
「諦めることが大人になること。」
そんな悲しい現実なのだ。
失敗することに対して億劫になる人は多いと思う。まぁ、僕だって失敗するのは怖い。
ただ、失敗をしたことのない人間は、それだけ挑戦をしたことのない人間だ。
挑戦することが正義だとは思ってはいないし、普通に生きる人がつまらないわけではない。
結局は最後には自身が選ばなければならない。
この世の中に正解なんてない。
だからこそ、親に周りも正しい事なんて言えるわけがない。
自由に選べるのだから、
失敗することが自分にとって正解なのかもしれない。
どっちに転ぼうが、自己責任の意識を忘れてはいけない。