見出し画像

恋に落ちたら、枯れていくだけ。

純粋に好きの気持ちだとか、そうして抱いた気持ちが美しく思える瞬間があっても。時に、それが無意味な程、辛い気持ちに変わっていく瞬間もあるし。

そんな気持ちに浸ることで、幸せと感じていた過去が嘘だったかのように感じるほど。落ちてしまった気持ちなんて、生命力を失わせるように枯れて果てゆくだけ。美しく感じるものは、消失感と隣り合わせのもののように捉えてしまう。

人の感情にはピークがあって、そこから後はずっと落ち着いていくだけ。そういう過程を何度か噛み締めて味わうことで考えさせられてくると、あまりに人に期待をしたくなくなってくる。

「人に依存しても、どうせ失うのだから。」と、本来行き着くべきではない終着点に、たどり着いてしまう気になる。

今も、また一つ失った気になっていた。彼女が、6月末に退職されるそうだと聞いて。彼女と言うと、僕が勝手に一目惚れしていた人のことで。僕がそうして寄せてた好意は、退職される最後にまでも彼女には伝えることはない。これは自然に枯れさせるようにと、胸の内にしまって終わらせようと思っている。

退職されるまでに、伝えようと思えなかったのは。伝えることが、かえって迷惑になってしまうからと知らされたからだ。退職される理由に、彼女から「出産を控えて」だなんて言われたら、こんな気持ちを伝えるべきものではなくなった。

自分が勝手に好きになっていたけど、その頃からは既に相手が居たそうで。遅かれ早かれ、失恋をしてしまったんだって、気がつけた。自分で抱いてしまったこの気持ちは、自分で処理しなければならない。

それにしても。こんな恋をしたからと言って、失恋してしまったからと言って。自分自身が失望をしていた訳ではなかった。不思議と、どこかで安心している自分がいた気がしたのだ。

あまりにも、人に期待をしなくなったんだろうか。元々、なんとなく予想をして分かっていたのかもしれない。自分が傷つかないように身構えることで、そうして期待しない予想をするからこそ。手に入らなくても、叶わないものを、叶わないなりに、ただ見惚れて、憧れている状態だけに幸せを感じ取れるようになった。

今はそこまで、傷ついたような気持ちが持てていない。

5月の中旬。あと残す日数は、一月と少しほど。その日が来ることで寂しく思うのか、悲しいと思えるのかは分からない。その時になれば、この気持ちにも変化があるのだろうか。

憂鬱にならないにしても、前向きに生きていける気持ちになることも無い気がした。これがまた、やさぐれていく気持ちに変わつてくことに繋がるんだと思う。恋だとか、そんな気持ちを味わったとしても、現状は何も変わりはしないのだからと。自己防衛するように、期待する気持ちを失わせていく。

期待をする生き方を失うような感覚の中で。ただ人間的には、彼女の事を応援することの姿勢が、理想的な行為と潔く思い。応援できる人間の方が、彼女の目には印象的に写るだろうから、そうしていようと考えていた。

とはいえ失っていく彼女に対して、印象的に見せたからって、別にこれから先に僕のものになる訳でもないのに。どうして僕は、知らぬ後の彼女が見る、僕の印象を気にして、考えていたんだろうかって。

これといって気にするべきことでもないのに、どこかそうしてマトモな対応をしようとするのか。これは好きだからだろうか、いや、それはなんとなく違うように思えた。

これは、きっと痛みを感じる自分の気持ちが嫌いだからなんだろう。だからこそ、痛みを感じないように始めから諦めるように身構えて、何事もなかったように振る舞って終わりたくて。

失った気持ちでヤケでも起こしたら、スッキリでもするのだろうか。

そんな事をしたとしても、誰も報われはしないと思うし。

恋がいずれ枯れてしまうものなら。始めから枯れるものだと知っていた方が、失った気に陥らないと思っているからこそ。

僕は、始めから諦めていたい。

いいなと思ったら応援しよう!