「愛してる」が嘘に変わる瞬間に。
他人の自分へ向けてくれている好意的な気持ちが、自分から遠のいてくのを感じていると。そのことに蓋でもしたくなる気持ちが強く芽生えるように思う。
なんと言えばいいか、当たり前に感じてた大切なものが、自分の許可もなく、知らず知らずのうちに他人の物にでもなってしまいそうな焦りだろうか。
頭の中だけでなら、離れていった人についてなんて「どうだっていいよ。」の一言で解決してしまえそうであるけど。それでも自分の気持ちは素直に、そうした関連のあった人との繋がりのことに対して、気にしてしまっている節がある。そうして気にしているだけ無駄なようだとも分かっているけど、スグにはそのことが切り離せない。
単に、出来ることならば、こんな負の感情の要素なんて都合よく全て忘れ去ってしまったほうがいいし、忘れてしまいたいけど。こんな不器用すぎる感情のせいか、見る先は常に、そうした、不可逆なことへも無視することが出来ない要素としてある。
コントロールが出来ないのは、自分の感情だけではない。こうしたことは、自分だけの責任ではないとも思ってる。これについては、どうしようにも出来ない他人が引き起こしてくれる、人間関係でしかないから。
始めの頃だけは調子のいい感じに、軽率にも愛してるだなんだのと言ってくれてた彼女も。時間が経つにつれて、少しでも愛せなく思えてきたら、安直に離れていくものだ。そういうのに「嘘つき。」だという印象を僕は抱いたけど。これは、もってのほか「絶対に、君を嫌いになることなんてないよ。」とか、安心させるような言葉に見せて、信用させてくれる事を言っておきながら、その言葉を裏切ったように振る舞った結果なのだから尚更そう思わされるのだ。
人の感情は素直であるように見えるが、素直であるからと言っても全てに一貫性のようなものがあるとは信じられない。
誰にでも当てはまることだろう。誰にでも当てはまることだからこそ、人の気持ちなんてものは変化していくのが当たり前だと思えるし。その程度のことだって。そうして割り切ろうと考えたりできるけど。でも、だからこそ感じるのが、"絶対"とか自分の想いを伝えるために、付けてくれた飾りのような言葉に、初めから嘘なんかが混じってたかのように思ってしまう。それで、なんだか冷めたように愛について信憑性が薄れるような感じがする。
綺麗事のように、永遠の愛だとか、運命だとか、そうした確証もないものに対して、「この気持ちは本当だ」と信じ込ませるようにするのは、やっぱり一時的な気の迷いのようなものがあったのだろうし。一時くらいの離れたくない気持ちがあったからだろう。それでも、そんな気持ちさえ変わってくものだからこそ、その時に言ってた他人の言葉に保証なんてどこにもありもしないし、信じる必要もない。
ただ、そうやって断言してくれてた彼女に、自分自身が歯痒くも嬉しく感じていた部分も確かにあったはずで。
信じたくなくても、信じさせてくれそうな言葉に縋っては。縋ってた分だけ、嘘に変わってしまった関係となった途端、強く自分の中に思う気持ちがあって。
結局のところは、どうせなら僕に期待させない程度に、僕を適度に愛しているだけでいてくれて。期待させないようにしてくれていれば、「君が裏切った」なんて思わなかった。