感情の無い人の世界は、きっとモノクロのような世界だ。
心が世界に色を付けたのだと思う。
何かを眺めた時に、そこから何かを感じとるような。そんな心の色が、人にはなかったのだとするのなら、世の中を綺麗な色には染めなかったんだろう。
別に世の中が何色に染まっていたとしても、なにも感じない人々が世に溢れていたら。この世の中の、鮮やかなデザインに関心すら持たなくて、見向きもしなくて。美しいと感じられる色も、カッコいいと思わされる色、それすら特にない。色には、特に効率性が無い。
心の無い人は、顔色さえ失っている。誰の目を気にすることさえなく、無表情のままに生きては、何をして過ごしてるのかは知らない。何をして過ごしたところで、なんてこともなく、誰の顔色さえ伺う必要もない。
一見、それが自由そう。そんな人に見えた。
無難。そして効率に重点を置いて、決められたこと、決まったこと、そうしたある程度ことは平然とこなして、何かに対しての不満は感じなくて、自分の声すらも挙げはしない。他人に対してだって、口出しをしたりはしない、そして自分の主張なんてそもそもない。
世の中がどうなったとしても、なんてことはない。全てを受け入れているように見えて、全てに対しては無関心な状態なだけで。それは自分に対しても無関心になった状態であって。
彼らにとった生きてるって、それほどにつまらないもので。死ぬことって、それほど怖いことでもなくて。何の為に生きてるかさえの、違和感すらも感じないのだから。死ぬことに対する、不満さえも感じないのだと思う。
それが、心を失った人の姿なんだろうと思う。
私利私欲のない人。心に色がない人間に近かく感じられた。そんな人を見いたら、華やかに感じられる生き方ではないが、ただ、静かで穏やかな人のようには感じられた。しかし、そうした人は何一つ、自身のことにさえも、疑問も抱かないのだ。周りに対しても、何も思いはしないし、自身に対してでも感じさえもしない。
そんな姿を側から見た人は、その人を悲しい人だと感じるかもしれないが。本人は、自身にすら悲しいとも感じられない。それが普通であって日常で、無駄なことだけは省く、それだけのこと。
自分の意思もないが、周りにすら振り回されない。
つまらないとか、楽しいとかも感じないのだから。自分の利益だとかも考えない感じられない、全く人っぽくはなくて、変わっていて個性的な人間に見えて。そうなりたくて、成ってる訳では無さそうな、ただの無色に染まってた人。
ある人が、辛さを感じる時に「感情が無くなればいい」だなんて言う人がいるけど、そうして思えることさえ、心があってこそだったと思わされる。
人は生きてる内の無駄なことに、よく楽しめる生き物だと思う。それが心の無い人にとっては、生きてることのそれ自体が無駄に感じられて、しかし無駄であるけど無難には生きている。
何となしに生きては、死ぬ理由すらも特に無いから、別に死にもしない。死んでいても、生きていても変わりはしない、だって、それを思える心がなさそうなのだ。
娯楽にすらも特にも楽しめない、そうした人は何をして無駄な時間を過ごしているのだろうか。これだけ無駄に長い人生の時間と、こんな無駄と、どのように向き合うのか、しかし無駄にさえも、退屈さを感じていなさそう。
ずっと平穏で、平坦で、平凡である。それが一番幸せだったのかと、そうした人達に問いたとしても、それに幸せを感じている訳でも無さそう。
とても、この人達は、楽に見えて、とてもつまらなさそうに感じる。本人らは対して、それが不幸な状態だなんて思わなくて。
モノクロのような、白黒のはっきりした人に見えて、何においても区別のしづらい人だと思う。
幸せを感じられない人、でも、不幸すらも感じられない人達。幸せそうで、不幸せなようにも見えて。
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