野球チーム『スマッシュブラザーズ』 創立した理由と誕生の秘話②
スマッシュブラザーズのカズナリ監督です。
今回は、野球チーム『スマッシュブラザーズ』を設立した理由と誕生の秘話について、続きをお届けしたいと思います。
チーム設立と最初の壁
2015年9月、22歳で監督となった私は、11名の部員が揃った『スマッシュブラザーズ』の幕を開けた。「よし!試合しよう!」と意気込んでグラウンド確保と対戦相手探しに取りかかったものの、早速草野球の壁にぶつかった。
「グラウンドの確保はどうしたら良いか?」
「相手チームはどうやって探すのか?」
この時、今まで所属していた『辻ファイターズ』で毎週当たり前のように野球ができていたことが、とてもありがたいことだと気づいた。『辻ファイターズ』の監督や主将が、グラウンド確保や相手チームとの交渉をしてくれたからこそ、毎週試合ができていた。しかし、まだ若かった自分は、監督や主将に「もっと勝ちにこだわるべきだ!」と強い口調で意見してしまったこともあった。
環境作りの責任
『スマッシュブラザーズ』を設立した以上、今度は自分がユニホームを作ってくれた選手に対して、「野球が当たり前にできる環境を作らなければいけないと強く感じた。」その責任の重さも感じた。もちろん、辻ファイターズ時代も野球ができることに感謝はしていた。しかし、監督や主将が試合開催のためにどれだけの労力をかけていたのか、正確には考えていなかったのかもしれない。
「野球ができることが当たり前になりすぎていた。」しかし、当たり前のことは、実は当たり前ではない。そういった環境を作ってくれた人々の存在に改めて感謝の気持ちと責任が芽生えた。
初めての試合へ向けた準備
部員が揃った時点でチームのTwitterを開設したので、練習試合の相手はSNSで探すことにした。グラウンドは、市役所に通って確保できるようにした。チームのヘルメットは、地元の中学生チームが使わなくなったヘルメットを、まっちゃん(現スマブラトレーナー)と中学時代のコーチに頭を下げて譲って頂いた。
初陣への試練
そして、2015年9月27日(日)に初試合が決定。しかし、ここでも草野球の壁にぶつかる。
部員にLINEで試合日を伝えると、「その日は予定がある」「ごめん!」といった返事が返ってきたが、これは部員は全く悪くない。
メンバーが揃っても、その日に来れるか来れないかは別である。何より皆は、仕事や学業、そして欠かせないプライベートの約束だってあるのは当然だ。
感謝の心に気づく
この経験から、辻ファイターズ時代には、選手として監督や主将に「野球ができる日程を組んでくれてありがとう」と感謝する気持ちはあったものの、今度は監督という立場で「活動に来てくれる選手たちに感謝する」ことの大切さに気付いた。野球に参加してくれることで、皆の貴重な休みを頂いているのだと実感した。その貴重な時間を『スマッシュブラザーズ』のために使ってくれることは、決して当たり前ではない。
運営の壁
最終的に正規メンバーは8人に達したが、あと1人足りなかった。相手チームに迷惑をかけるわけにはいかないし、グラウンドの使用料も発生している。私は公園付近でマラソンをしている人にも声を掛けようと考えたほどだった。
バッティングセンターに通い、他の人にも助っ人を頼んだ。そして、辻ファイターズのチームメイトの白井さん(前スマッシュブラザーズ ヘッドコーチ)に助っ人や声掛けをお願いし、初試合には12名が参加することになった。しかし、ここでも野球チームの運営の難しさを痛感した。助っ人を参加させる以上、試合に出さないわけにはいかなかった。結果として、正規の部員が何人か出場できなくなってしまったのだ。思い通りにいかないことが多く、チーム運営の難しさを改めて感じる瞬間だった。
初陣の試合とその教訓
それでも、無事に初試合の日を迎えたことに内心ほっとしていた。そして、迎えた初めての監督としての試合。無事に野球ができたことに感謝した。
今後も『スマッシュブラザーズ』は、前に向かって突き進む。勝負の世界だから、良い時もあれば悪い時もある。
どんなにチームが大きくなっても、力をつけても、「みんなの貴重な休みを頂いて、野球ができること」に感謝し続けたい。
「当たり前のことは、当たり前でない。」
「野球ができることも、当たり前ではない。」
これは、スマッシュブラザーズの活動だけでなく、少年野球から高校野球、さらには野球以外のあらゆる活動においても同じだと思う。全ての機会に感謝の気持ちを持ち続けることが、何より大切だと感じる。
私は原点の気持ちを忘れずに、皆と共に突き進んでいきたい。