この価値観はどこからやってきたのか
こんばんは。
生き方ととのえ屋│まどかです。
私の価値観の中に長年変わらずトップにいつづけるものがあります。
それは「選択」と「自由」
この自由というのはたぶん、「選択の自由」なんじゃないかなと思います。
これがどこからやってきたのか?
思い当たるのは母です。
昔から自由に選択してるようには見えなかった。
実際には選択してるんだけど、仕方なくという感じがひしひしと伝わってきてた。
そのたびに
「もっと好きに生きればいいやん」
「そんなに嫌なら辞めたらいいやん」
と、いつも思ってたし、口もに出して言っていた。
(今でも言ってます)
なんなら中学生の時には、親の夫婦喧嘩がひどかったので「もう別れたらいいやん、別にいいで」と普通に言ってました。
それでも我慢してきたのは本当に凄いとは思う。
けど、それを見てきた私はそんな生き方は嫌だなーと、思ってたわけです。
そしてその積み重ねで「自分はもっと自由に選ぶ」という価値観が出来上がったんだと思う。
大人になってからも正社員=正義みたいな、安定がなにより。という思考で責めてくる。
だから、正社員を辞めるときは
「将来どうするん…」「正社員じゃないと」と言われてた。
自分(親)が我慢して同じところで働き続けて散々ストレス溜め込んでるのに、それを勧めないでほしい。
もちろん、母自身が苦労してきたし、
心配からなのは分かってるが…
押しつけられても困る。
あと何十年も我慢し続けて働くのは無理なんよ。
65?で退職して残りの長くて20年、もしかしたら10年経たずに死んでしまうかもしれない。なんなら定年になる前に何かあるかもしれない。
そのために30年も40年も我慢するのは考えられなかった。
なにより、生き甲斐になっていたバレーボールの指導すら「そんな一生懸命やってても1円にもならんし、困っても誰も助けてくれへん」と否定されていた。
(まぁ、続けた結果、今は副業程度の収入にはなってますけどね)
起業や転職、全てにおいて
少しくらい応援してくれたっていいやん…
とはずっと思ってる(^_^;)
否定っていう観点で話し出すと、ちょっとタイトルからは話がズレていきそうなので…
まとめると
我慢して生きてる感いっぱいの親にも、ほんとはもっと自由に生きてほしいし、もうちょっと縛られず楽に生きてほしい。
でもどれだけ口で言っても伝わらない。
だから自分が「自分で自由に選ぶ」という正反対の生き方をして「ほら、大丈夫」って言いたいのかな。
あとは反発心も少なからずあります。
(いや、だいぶあるかな。笑)
もちろんどの生き方を選んでも、当たり前に苦労することはあるけど、自分で選んでるうえでの苦労なら、自分で選んだんだからって考えられる。
そして、どんな原因や過去があったとしても、これまでずっとこの生き方ができてるのは私にとっては幸せなことだよなぁと、改めて思いました。