孤独感の正体を紐解いてみる①
こんばんは。生き方ととのえ屋まどかです。
先日書いたこの記事の中で書いた孤独感。
いろいろ考えてみたのですが
少し紐解いてみようと思います。
もう、生の実験台です(笑)
長くなりそうなので、前半と後半に分けて投稿するかもしれません。
まずは過去を振り返っていきます。
1.幼少期はほぼ毎日、親戚の家にいた
親が仕事で忙しかったので、赤ちゃんの頃から小学校に上がるまではほぼ毎日、親戚の家にいました。
小学生になってからも土日は毎週お泊まり。
私自身も居心地が良かったので
嫌がるどころか大好きな場所だった。
今の自分の本質的な性格を作った関わり
親戚の家ではとにかく溺愛されていたと思う。
何をするのもOK。したいことは何でもやらせてくれるし、一緒にしてくれる。
遊びはもちろん、勉強も何もかも楽しみながらできる環境でした。
おばさんとおじさんは姉弟ですが、とにかく優しいのと、おじさんは特に常にご機嫌な人。
仕事から帰ってきても、疲れた顔など見たことなく、いつもニコニコ。
きれい好きだったから、鼻歌歌いながら部屋の掃除したり、風呂洗ったり毎日してた。
どんなことも笑って受け取る。
こんな人になりたいと小さい頃から思っていた。
今考えたら、人生でここまでずっとご機嫌に過ごしていた人を見たことない。
最高の師です、ほんと。
それとは正反対の我が家
先に言っときますが、あんまり良い思い出とかないのでマイナスに見えるかもしれませんが、決して恨んではないです(笑)
家に帰ると完璧主義の厳しい母と、仕事しかしてない父。
「あれしなさい、これしなさい」「~しないとダメ」といつもイライラ、怒られてた記憶ばかり蘇る。
自由奔放で縛られたくない性格の私と
「ちゃんとさせなきゃ」という母。
ぶつからないわけがありません。
そりゃ、家にいたくなくなるよねって感じです(笑)
親戚の家には、いつも車でしか行ってなかったのに小学1年生くらいの時に怒られすぎて、1人で自転車に乗って家出したこともあります。
(辿り着いたのは奇跡)
今だからわかることですが、
初めての子育てでちゃんとしなきゃ。
なのに言うことを聞いてくれない。
仕事も掛け持ちしてて忙しい。
でも家事も手を抜きたくない。
父は昔気質な人間なので家のことは一切手伝わない。
外には大盤振る舞いなのに家には最低限しかお金を入れない。
母のイライラもMAXだったんでしょう。
2、孤独感が生まれたきっかけ
実は小学生に上がってすぐに不登校になりました。
理由は、先生が怖すぎたから。
というより…ほぼイジメ。
元々厳しい先生だったらしく、6年生を見ていたのが、その年からは1年生の担任になった人。
で、なぜ嫌われたかというと…
原因はたぶん、授業中に私がどんどん先に答えてしまったりしてたことです。
(あとから聞いた話です)
親戚の家で、1年生くらいの勉強はほぼできるようになってたんですね。
漢字とかも少し書けるようになってたと思う。
いつも答えたら喜んでくれる。
それを学校でもやってしまってたんだと思います。
だから先生にしたら授業が思うように進まない。
しかも口も達者だったので言い返してくる。
こんな流れだと思っています。
そして、起こったことが
何かと怒られるし、食べるのが遅かった私が掃除が始まっても食べてると、食器を片付けるからと、机に紙を敷いて、そこに全部こぼされてそれを泣きながら食べてたらしいです。
(全く覚えてないけど、あとで聞きました)
今考えるとヤバいよね(笑)
それを知らない母は、私が学校に行きたくないと泣き叫んでても引きずってでも連れてってました。
門までいったら担任が待ってるし。。
そんなこんなで、登校拒否です。
そこでも親戚が助けてくれました。
「無理に行かさんでいい」
「行きたくなったら行けばいい」と。
そんなある日、誰かから私が学校で先生にされていることを母が聞いたらしく、学校にブチ切れに行ったそうです。
(大人になってから聞いた)
そんなことも知らないまま、なぜか2年生以降は担任が替わり、優しい先生になったので、そのおかげで無事に本来の体育大好きな野生児に戻り、卒業まで活発な子として元気に過ごすことができました。
あ~、ここから始まったのね。
愛されてる実感がなかったんですね。
いつも助けてくれるのは親戚の2人だし。
と、きっかけを見つけたところで
今日は終わります。
次回はここから更に
深堀りしていってみようと思います。