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恋するリヴァーサイド

兵庫に住むのは35年ぶり。
慣れ親しんだ関西に帰ってくるのも16年ぶり。
でも、平成になってあたしの家族と関西に住むのは初めてだったの。
それまできっとこどもたちはなぜ家族の中でお母ちゃんだけ別の「言語」をしゃべるのかわからなかったかもしれないわね。
でも、ついに、コッテコッテの関西弁ワールドへこどもたちをいざなうことができたのよ!

ちょうど阪神淡路大震災から10年の年だったわね。
神戸市の東遊園地と淡路島の北淡震災記念公園には行ったわ。
35年前、あたしがまだ幼稚園児だったころの神戸とはずいぶん変わっていたけれど、街は美しく復興していた。
広島にしろ、神戸にしろ、壊滅的な状況から復興する日本人の力強さを感じるわね。
(あたしも生まれ変わった。生き返ったで!)
あたしも胸を張って、ふるさとの地に立つことができたわ。

幸いこどもたちは新しい中学校、小学校にも馴染んでいってくれた。
ただこれぐらいになると今度は勉強の問題が重くのしかかってくる。
前の学校で習っていなかったことがあるとなかなか追いつけなくてつまずいてしまう。
特におにいちゃんは中学2年生だったのに受験勉強をどうサポートしてあげればよかったのか、あたし自身日本で受験を経験していない身でこればかりはなんの助けにもなれず、申し訳なかった。
あたしの方は長野で「ルールというのは社会的暴力であ」るということをよくよく学習したのでかなり緊張して役員決めの懇談会の望んだんだけど、学校のPTAの方は自ら立候補して交通安全委員になって執行役員になるのを逃れ、地区役員の方は近所の方が「クリスさんは引っ越してこられたばかりなんで来年あたり私といっしょにやりましょうか?」とおっしゃってくださって難を逃れた。
(ちなみにその「来年度」にはまた転勤になってしまったのだけど。)
これは関西人だからなのか、わからないけれど、よそ者に慣れているというか、転入者に対して受け入れる側の方から積極的にコミュニケーションをとってくれるので誤解がなくて済むというか、まあ、おせっかいと思う人もいるかもしれないけど、あたしとしてはやりやすかったし、ありがたかったわね。
ふるさとが良い、と思うのはやっぱりその中で育っているので風習、文化、食事の基準ができているから、なんでもものすごく良いというよりそれが「当たり前」だからなんだとおもう。
いちいち(あ、違うな)(なんで?)(わかんない)と引っかかると疲れるし、受け入れる側に説明が上手い人、寛容は人がいないと軋轢が生じちゃうのよね。

平成17年の7月にあたしたちは車で2日かけて長野から引っ越してきた。
(犬が一緒だったし、車も必要だったからね。途中1泊して関西いりしたの。)
実はその年の全国社会人サッカー選手権、略して「全社」は兵庫開催だった。
あたしは4月には長野のとあるグラウンドで地区予選を戦うチームを応援していたのに、3か月後にはチームより一足先に全国大会の会場地にやってきていたわけよ。
残念ながらチームは北信越代表になることはできず、彼らはあたしのところにやってきてはくれなかったんだけどね。
でも、あたしは全社の会場運営ボランティアに応募し、10月には1週間、東海代表の静岡FCのお世話を担当したわ。
いままでずっと長野のチームしか知らなかったから、一度にいろんな地域のいろんなチーム関係者の方々と知り合いになれて楽しかった!
残念ながら静岡FCも決勝までは残れなかったんだけどね、あたしはひとりで御崎公園球戯場へ決勝を見に行ったわ。
(長野のみんなも、静岡のみんなも、ここにはこれんかってんなあ。)
決勝は平日の昼間に開催されたので、応援に来ている人はいなかったわ。
でも、きっと全国にいっぱいここに来たかったチームとそれを応援している人たちがいるんだなあ、対戦するときは敵だけど、目指す場所は同じの仲間なんだなあと、その時あたしは気が付いたのです。

長野の仲間との最後の大会はその翌月、高知で行われた地域リーグ決勝大会予選ラウンドだったわ。
あたしは三宮から高速バスに乗って5時間、春野で仲間と合流したわ。
残念ながら1勝することもできず、チームは敗退してJFLへの昇格はお預けとなり、あたしがゴール裏でみんなと一緒にこのチームを応援するのは最後だった。
結論から言うとその後このチームはメンバー、チーム名、体制を一新して5年後の決勝大会でJFLへ勝ち上がり、のちに発足したJ3リーグへと昇格していくんだけどね。

翌年はのじぎく兵庫国体があったのでまたボランティアをしたわ。
今度は女子サッカーの担当で埼玉県チーム(レッズレディースとエルフェン)を担当し、準優勝するまでお世話しました。
まだ有名選手が移籍してくる前の神戸レオネッサのメンバーとも知り合って、それからは女子サッカーも観戦するようになったわね。

その翌年からは家の近所の会場に試合を見に行った縁で関西リーグのバンディオンセ神戸の応援もするようになったの。
このチームは元ガンバの選手が多く在籍していて嬉しかったわ。
平成19年は関西リーグ優勝して年末の決勝大会に進出し、愛知県の刈谷に応援に行って予選ラウンドを勝ち抜け、埼玉県の熊谷にも応援に行ってなんと決勝ラウンド最終日に敗退したの。
ひとりで兵庫まで帰ってきて電車から見えた明石海峡大橋のライトアップが切なかったわ。
(2年前も決勝大会負けて、泣きながらあそこを通ってんなあ。今回も別のチームでやっぱり勝てへんかったなあ。地決、厳しいなあ。あたしはやっぱ、地域止まりの女なんかなあ。)

まるでなかった青春を取り戻すかのような兵庫での日々だったわ。
こどもたちは安定して学校に通い、友達もできていた。
あたしはご近所にもサッカー仲間にも恵まれていた。
そして、またひとつ、こどものころからの夢をかなえたの。

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