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旅は続くよどこまでも

平成最後の10年は個人的に非常にヘビーだったので、そのお話に入る前にひとつクッションを置いて、好きな音楽や食べ物、漫画の話でも、つらつらと取り留めもなく書いてみようと思うわ。

平成の始まりのころは「イカすバンド天国」の影響もあってバンド・ブームだったし、この頃デビューしたバンドは今も活躍する息の長いバンドが多いわね。
「イカ天」でいうとBEGINが好きなの。
番組自体は見ていなかったけど、もともと沖縄が好きだったし、だんだん地元を大切にする歌を多く出すようになってますます好きになった。
森山良子と共作した「涙そうそう」は実父が亡くなったあとからは聞くといつもパパを思い出してあたしが涙ぽろぽろになっちゃうわね。
ウルフルズは関西ホームシックになったときに聞いて元気出してたわ。
なんかアホやねんけど憎めない、関西の男の子の可愛げが彼らの音楽には詰め込まれてる。

この人たちがデビューしたころはまだおっぱいとうんちの日々だったからアルバム買ったりTV観たりコンサート行ったりなんて余裕はなかったけど、ラジオから流れる音楽を聴いてた。
そのころはよく市の図書館に行って子供向けの本を借りたりしてたんだけど、漫画も借りれることがわかって、驚いたわ。
あたしがこどもの頃は漫画は隠れて読むもので(笑)公立の図書館が収蔵してるなんて信じられない感じ。
だからこの時期に中学生の時に大好きだった萩尾望都さんのあたしが渡米した後に発表された作品を次々借りて読んだわね。
彼女があたしの絵に与えた影響は計り知れません。
もう漫画は描いていないけど、萩尾さんがいたから、あたしは絵を描く人になったんだと思う。

B‘zは福岡で世界水泳が開催されたときから”ultra soul”を聞くとプールに行きたくなるわね!
同年代として稲葉さんのように年を重ねていきたいと思っているわ。
Mr.Childrenはサッカー好きな人はみんな好き、って感じよね。
あたしは個人的に日韓大会の時に発売された「It’s a Wonderful World」に収録されてる”蘇生”が大好きなの。
自分もサッカーのおかげで絵を、自分を取り戻したところだったから、(そう、何度でも生まれ変わってみせるわ!)って思いながら聞いてた。
スピッツがね、好きなのよ。
2005年の「スーベニア」収録の“春の歌”とか“正夢”聞きながら(あたしも夢をつかみに行くわ!)って勝手に奮い立ってた。

平成も二桁になると今度は女性アーティストも聞くようになったわ。
北海道にいる間に宇多田ヒカルと元ちとせがデビューしたんだけど衝撃的だった。
宇多田ヒカルは母親の藤圭子が旭川出身で当時祖母が富良野に住んでるってことで目撃情報もちらほらあったけど、とにかく16歳の少女があんなすごい音楽を作り出せることがびっくりだった。
アメリカで育っていたり、母親と葛藤があったりと、勝手に共感もしてました。
今も彼女の音楽は聴くたびにあたしの魂を震わせる力があります。
元ちとせはとにかく「神の声」ってキャッチフレーズがぴったりだったね。
彼女は宇多田ヒカルと違って子どもができてから活動をセーブしているようだけど、あれだけの声の持ち主ならまだまだ素晴らしい歌を聞かせてくれるんじゃないかな。


北海道は何と言っても日本の食を支える農業大国なので、4年の間に美味しいものを食べまくりました!
ラーメンはやっぱり醤油かしらね?
ただね、あの濃厚こってりなラーメンは氷点下20度以下にもなる極限状態で食べるから美味しいのよ!
北海道行くなら夏じゃあない、2月!
酪農も盛んなので我が家の牛乳は牧場から直接配達してもらっていたんだけど、富良野で搾乳やバター作りの体験もしたし、興部のノースプレーンファームさんのソフトクリームとかバケツで食べられそうなくらい美味しかったわ!
美瑛の純ドッグも忘れられないわね、時々こどもたちのリクエストに応えて再現したりしてるわ。

もう、本当に、北海道で太るなと言う方が無理!

長野にいるころには一青窈がデビューしたわね。
あたしはカラオケはやらないけど「ハナミズキ」はやはり何度聞いても良いわね。
長野は果物がおいしくてね、ブドウ、サクランボ、イチゴ、いろんな果物狩りに行ったわ。
残念だったのは栗拾いに行けなかったことね。
長野の隣の小布施町の小布施堂さんのモンブランが尋常じゃなく美味しくてね、たぶんクリス史上最高モンブランだと思うの。


あとお友達がタイ料理のお店をやっていてね、クリスなぜか長野でタイ料理に目覚めてしまいました!
やっぱり料理は本場の人に美味しく紹介してもらうのが一番よね。
食べたことないものっていくらレシピ見ても上手に作れないし、ちゃんとできてるのかどうかもわからないもの。


あとね、長野と言えば県外の人からすると蕎麦かもしれないんだけど、あんまり食べなかったのよね。
ところが2004年の夏の夜、あたしはチームの全社県決勝の応援に行ってたんだけど、そのときの思い出話を一つ。
ゴール裏には5人くらいしかいなかったんだけど、みんなで声を枯らして声援を送り、チームは苦しい試合をものにして優勝!
ご機嫌に高速を飛ばして帰る途中、おなかがすいてたんで梓川SAでお蕎麦でも食べるかってなったの。
そしたらフードコートのTVでアジアカップやってるじゃないのよ!
(うわあ~、チームに集中しすぎて日本代表忘れてた!)
なにしろあのヨルダン戦よ、奥さん!
あのシュンスケが外して、三都主が外して、ああ、もう、アカンってなったときにツネさまが出てきて、サイド変えて、ヨシカツに神が降りてきた、あのヨルダン戦よ!!
あたしは蕎麦が延びるのも構わずTV前に張り付いたわ!
そしたらなんとPK真っ最中にさっきまであたしが応援してたチームの選手たちがSAに入ってきたの。
「なに、なに、アジアカップ?」
もうこうなりゃチーム一丸で応援よ!
普段はあっちがプレーする方、こっちはサポートする方だけど、今夜はみんな一緒に日本代表を応援するのよ!!
「ヨシカツ!ヨシカツ!!」
「ぎゃあああああああああ!」
いつしかあたしたちの後ろにもお客さんたちの輪ができて、SA全体が一つになって日本代表を応援し始めたわ。
「止めたあああああああああああああ!」
「勝ったああああああああああ!!」
どこのだれやらわからんドライバーのおっちゃんたちとハイ・タッチ!
ここぞとばかりにお気に入りの選手に抱きつきまくり!!
ああ、楽しかった。

兵庫では国体のボランティアをやったんだけど、この時の思い出の曲はスキマスイッチの「スフィアの羽根」って夏の甲子園テーマソングになった曲。
実はこの年話題になった球児と言えば「ハンカチ王子」こと現在日本ハム在籍の斎藤佑樹投手!
で、大ブームになった甲子園のすぐあとに国体があって、斎藤投手が高砂市球場にやってきて、もう会場は観客であふれかえって大変な騒ぎだったのよ。
斎藤投手はここのマウンドでも当然のようにハンカチで汗をぬぐったんだけど、その時使っていたのが大会マスコットの「はばタン」を刺しゅうしたブルーのタオルハンカチだったの。
もうそのせいでグッズが売れる、売れる!
野球会場ではそのハンカチが売り切れちゃって、隣町のあたしが運営ボランティアやっていたサッカー会場にまでおばちゃんたちが押し寄せて「はばタンハンカチはないの?」「ブルー売り切れ?」「もうピンクでもええわ、この際!」ってグッズ爆買いよ。
楽しかったわあ。(その後その球場はなんと「ハンカチメモリアルスタジアム」を愛称として正式付与されたのよ、すごいでしょ?)
そんな東播地域の一つ、明石といえば魚の棚(うおんたな)商店街は良いショッピング・スポットだったわね。
3月にいかなご漁が解禁になると魚屋さんの軒先には生のシラスが山積みにされ、おばちゃんたちがキロ単位で買っていくの。
(みんないかなごのくぎ煮を作るんや。)
あたしも魚屋さんに作り方を教えてもらって挑戦し、親戚に配って喜ばれました。

いかなごのくぎ煮食べたいなあ。かつめしも食べたいなあ。やっぱ、関西はええなあ。

こんな感じで子育てをしながらも色々楽しみ、家族とともに10年かけていろんな場所で経験を積みました。
あたしは故郷の関西で英気を養い、元気いっぱい神奈川に帰ってきました。
地元を離れるのは寂しかったけれど、もうこれで転勤は終わりだ、引っ越さなくていいんだ、こどもたちを転校させなくていいんだ、と思うとうれしさでいっぱいでもありました。

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