2002
まだ根雪の残る北海道から長野に引っ越したのはサッカーW杯日韓大会開幕直前でした。
上の二人は小学生、末っ子は幼稚園年中に入園し、引っ越しの荷物は4年前と違ってすぐに片付きました。
実は北海道にいるときは市の国際交流ボランティアとして各国の姉妹都市との交流の予定があり、韓国かあるいは札幌ドームでの観戦可能性があったのですが引っ越しでそれはなくなってしまいました。
また、ネットでも各地からやってくる出場国サポーター向けの会場案内サイトの翻訳を手伝ったりしていたので、長野でもなにかやりたいと思っていましたが、あいにく長野に試合会場となるスタジアムはありませんでした。
ですが松本がパラグアイ代表のキャンプ地で、地元紙の練習試合観戦招待に応募して当選したので家族そろってまだ新しいアルウィンへ出かけました。
当日は浦和レッズとの親善試合でびっくりするほどたくさんの観客数でした。
そこであたしは初めてサッカーを応援する「サポーター」というものと出会ったのです。
あたしが心惹かれたのはパラグアイの応援をする人たちでした。
人数はレッズにはとても及ばないながら皆さんとても楽しそうで、チームグッズを身に着けて、てんでバラバラに試合を応援していました。
(へえ、野球とは全然違うんやな。サッカー楽しいなあ。)
迎えたサッカーワールドカップ2002。
皆さんご存じの通りグループHの日本代表はベルギーに引き分け、ロシアとチュニジアに勝って見事予選リーグを突破してベスト18入り。
一勝もできなかったフランス大会の雪辱を果たしました。
決勝トーナメントでは一転、トルコに負けて日本代表の本大会は4試合で終わってしまいましたが、恐らく多くのサッカー・ファンの皆さんと同じく、あたしにとってはとても大切な、人生を変えるような2週間でした。
あたしが(この人を描きたい!)と強く願った選手が今大会における日本初ゴールを挙げたのです。
先制され、もうだめかと思った瞬間、彼が懸命に伸ばしたつま先の向こうにゴールが待っていました。
次の瞬間びっくりするほど涙が出始め、もう2-2の引き分けで試合が終了するまでずっとボロボロ泣いていました。
最後の試合でも仙台で雨に濡れながら泣いている日本代表と一緒にあたしも泣きました。
サッカーではなぜかいつもと違うところから涙が出る感じがしますが、(この感情は、必ず描かなければならない!)と思ったのです。
大会が終わってすぐに3日ほどで1枚の絵を完成しました。
それをコンテストに応募すると2か月後、入賞のお知らせと授賞式の案内状が届きました。
「うっそおおおおおおおおお!?」あたしにとって初めての全国レベルのコンテスト入賞でしたので、びっくりしすぎて大声で叫び、しばらく落ち着けなくて2階建ての借家の階段を何回か上ったり下りたしてしまいました。
なにしろそれまで全国レベルでは入賞どころか1次審査などを通過する入選すらしたことがなかったのに、入賞!賞金までいただけるなんて!
会場に行くとさすがにサッカーを描いた作品が何点かありました。
それまでのあたしだったらほかの作品と自分の絵を比べたり、なんで大賞じゃないんだとか考えていじいじしていたかもしれませんが、あたしは晴れやかな気持ちでした。
「長い間描きたいものを見失い、絵が描けませんでした。でも、絵は待っていてくれました。ようやく戻ってきました。サッカーを描いていきたいと思います。サッカーへの気持ちならだれにも負けません!」
受賞のあいさつであたしは元気いっぱい宣言しました。
(画家というよりはサポーターのスピーチだったなと後でからかわれましたが。)
あたしにとって命の恩人でもあるその選手はW杯の後ベルギーに渡りました。
実はそのころあたしは思い立って自分のホームページを立ち上げました。
ただ自分の作品をアップして、サッカーやスポーツへの愛を叫んでいただけなのですが、彼が移籍したそのベルギーのサポーター・サイトを運営していた少年が連絡をしてきました。
「きみはずいぶんとタカが好きみたいだね。」
「日本一のファンである。」
「絵もすごいね。よく似ているね。」
「愛しているなら当たり前。」
「タカが来てから日本からのサイトへのアクセスが急増してるんだけど、問い合わせへの翻訳お願いできないかな?」
「お安い御用である。」
「ついでに絵も使わせてもらっていい?」
その少年はサポーター・サイトの壁紙や、その選手の特集ページにあたしの絵を使ってくれました。
あたしは自分の絵が役に立つ、人からほしいと言われる日が来るとは思ってもいませんでした。
ありがとう、サッカー!ありがとう、タカユキ!!サッカーで幸せになろう!!!
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