2024/9/18 السابق

社不がでてしまった。


朝6時15分にルームメイトに起こされる、ご飯を食べてるまではよかった。寮監に到着日に提出していなかった証明写真を提出したのまでも良かった。その証明写真を部屋に置いていったときにちょうどバスが来てしまって、バスを逃してしまうまでもよかったのではないか今思えば、その後ウガンダから来たウマルと話していたところ、パスポートを持っていないと、テストを受けられないことが判明した。慌てて戻ったら2度目のバスを逃していた。

嘆いてもしょうがないので、待っていると、フランス語圏がアフリカ出身の学生に囲まれてしまった。

ベナン人のイムラーン、ブルキナファソから来たイブラヒム、トラオレ大統領の弟と言われているもう1人のブルキナファソ人と話した。私はフランス語を少し話せるので、何とか会話ができた。名前や出身の他に、日本の教育制度について聞かれた。日本の大学進学率の高さにみんな驚いていた。素晴らしい。

初めてクウェート大学に登校したが、第一印象はとにかく大きい。途方もない大きさである。一年間かけても全容を知ることは不可能だろう。

先輩留学生が教えてくれたように、バスには乗り換えがあった。アフリカ留学生のガイドのおかげで容易に言語センター行きを見つけられたが、一人だったら死んでいただろう。

言語センターに着いたら、他の日本人留学生7人となぜかボスニア人1人が同じ部屋で待っていた。テストはまだ始まっていなかった。20 分ほど待っただろうか。1人のアラブ人男性が入室してテストを配っていった。テストは2時間で、リスニング、リーディング、ライティング、文法の4技能を幅広く出題された。レベルとしては、やはり簡単ではなかった。ライティングを別にして、確心を持って答えを選べたのは少ない。しかし、歯が立たないことはなかった。

テストの後、簡単な面接というか会話試験があった。先程の試験と比べると大分簡単だった。明日は8時半に同じ場所に来て、オリエンテーションを行うらしい。あと明日写真を持っていかなきゃいけないらしいので、忘れないようにしないといけない。遅刻は厳禁である。

その後我々はバスの乗り方に苦労したが、何とか寮に帰ることができた。寮では中澤さんとビデオ通話をした。なんと我々の部屋は去年の日本人学生と一緒だったのだ。quelle coïncidence.中澤さんは、寮の医務室の部屋とムハンマドアミーンの部屋をおしえてくれた。留学のお話を伺っていたが、その時急にアラブ人に話しかけられた電話していているのに気づかないんだろうかしかし彼はクウェート軍の将校で私たちがIDカードの発行に困っていると言うと、すぐになんだか偉そうなムッシュリフにつないでくれた。ムシュリフは何電話かけてこれで解決と言ったが信用できない。まぁそれで解決なら何よりなのだがその後は我々留学生。2人はコーランの素晴らしさとイスラム教の素晴らしさを語り、アラビア語を学ぶのであればコーランを読めとのことだった。


その後で、日本語を勉強しているクウェート人のファーリフさんにお会いした。わざわざ学生寮まで車で迎えに来てくれたのだ。アラブ人全般によることだが、彼らはとても優しく、寛大な性格である。紅茶や脱出ゲーム、ハンバーガーをご馳走していただいたが、全て支払っていただいた。ファーリフさんの日本語は非常に流暢で、会話もほとんど日本語で行った。私も彼のようなレベルでアラビア語を話したいものである。私達が行ったアベニューズ・モールというのは、クウェート最大のモールで、さながら町のようであった。特に印象に残っているのは、the souqという伝統的な市場を模したコーナーである。まるで茨木屋にいるような素晴らしい数であった。

脱出ゲームでは思ったよりファーリフさんがガチだった。そのおかげで私たちは9分残して脱出することができた。脱出ゲームは英語とアラビア語が選べて私達は英語を選択せざるを得なかった。しかし1年後にはアラビア語でもう一度挑戦したいと思う。

その後私たちはハンバーガーおごってもらい、クウェートの文化や歴史について話し合った。素晴らしい時間であった。

街を歩いていると、ファーリフさんはいろんな人に話しかけられていた。どうやら彼の父が有名な人らしく、結構VIPなのかも知れない。ルームメイトが考察するには、クウェートは小さい国なので人が集まりやすいのだと思うそうだ。確かにである

ファーリフさんは名探偵コナンが日本のアニメでお気に入りだそうだ。


クウェートに来てから、私たちは素晴らしい日を過ごしている。毎日が日にち上でワクワクする。明日はどんなことがあるのだろうか。


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