「海辺と学校」について
熱海温泉って何処にあるか知ってますか?
静岡県?新幹線で小田原の隣?
いや そっちの熱海温泉ではなくて福島県にある熱海温泉に先日行ってきました。そう磐梯熱海温泉。郡山と会津若松の間、猪苗代湖の麓にある温泉地だ。
貫一お宮が来たことのない方の熱海。
久しぶりに福島に行こうかと思い立って、その辺りの温泉地を探していたらそこが見つかったのだ。
今回は車で行こうと決めていたけど時期的に現地は降雪地。今年は暖冬だから大丈夫だろうと見込んでいたが、現地の当日の天気予報は雪予報でどうしたもんかと思った。一応スタッドレスタイヤは履いているけど、本格的な雪道はほとんど走った経験が無いし 僕の車はFRときている。
ただひたすら福島を目指し 東北道を北へ北へと向かう途中の那須付近から 小雨は小雪に変わり、みるみるうちに大粒の雪がフロントガラスを打ち付ける頃には このままUターンして帰ろうかとも思ったが、ホテルのキャンセル代を払うのが嫌なのでそのまま走り続けた。
幸いにも目に見えての降雪は山間部のみだったが、非常に疲れた状態で目的地に辿り着いたのであった。
磐梯熱海温泉はとても静かな場所だ。それは秘境の温泉郷という意味ではなく、山間部の中規模集落の中に温泉宿が点在しているので 温泉街でイメージする賑やかな雰囲気が全く無いという意味で。
周りには食事する場所も商店もほとんど見当たらないので修行僧の如く温泉に浸かる行為に集中出来るのである。良い湯だったよ。磐梯熱海温泉
福島の海辺の震災遺構に
福島には前々から行きたい場所が何ヶ所かあり、この2日間で色々まわってみようと思っていたが、なにせ1人での車の遠出は疲れる。
知らない場所での距離感や土地勘の無さが更に疲労を積み上げるので、旅行は時間配分と計画が大事だなと改めて思った。いや、毎回そう思って後悔している。
東日本大震災から13年経つが被災地域は今どうなっているのだろう?という思いもあるし、それより福島の美味い魚を食べたいという思いで、磐梯熱海温泉に泊まった翌日に浜通りの海沿いまで車を走らせた。
福島県は2つの山地(阿武隈高地と奥羽山脈)によって3地域に区分され 東から順に浜通り、中通り、会津となっている。福島市から相馬市に山あいを抜ける際は再び激しい雪に見舞われ、今は寒き冬だと思い起こされた。
中浜小学校
福島の海沿いには2011年末に訪れたことがあるが、積み上がった瓦礫や 車や船の残骸、手のつけられない損壊家屋など 数ヶ月経ってもそのままの傷跡にショックを受けた記憶がある。
さらに原発事故の影響で封鎖された道路や 廃炉関係者が乗っているであろう車両がそこを抜けて走っていく様子は、自宅から車で数時間ほどしか離れていない場所の光景とは思えなかった。
被災地には震災遺構が点在しており、震災当日の現実をリアルに今に伝えている。
山元町にある震災遺構「中浜小学校」。13年前の3月11日 校舎2階を飲み込む程の津波がここを襲ったが、現場に居た児童と教職員 保護者ら90人は屋上に避難し、翌日全員無事に生還出来たという。
校舎には津波の浸水地点が示された看板が掲げられているが、地上から見上げるそれは現実感がなく中々イメージがしづらい。
ここでは中浜小学校の元教員の方もガイドを務めており、当時の様子を丁寧にお話ししてくださった。
見てきたこと 感じたこと 色々と聞きたいことが溢れてきたが、あまり相手の時間を取らせるのも失礼だし、当時の不安や恐怖を 僕が掘り返してしまうのではと思い、口をつぐんでしまった。
荒れ果てた教室、屋上から見えた静かな海、かつては住居が建ち並んでいた学校周りの更地。それらを見ながら 災害への備えと心構えの大切さを実感したのである。
請戸小学校
山元町の中浜小学校から南に車で1時間ほど走らせると浪江町にある震災遺構「浪江町立請戸小学校」に辿り着く。
中浜小学校と同様、震災当日ここに居た児童教職員は避難場所に指定されていた学校の西側にある大平山に避難し全員無事だった。
ただし 地図上で見ると分かるが福島第1原発とは直線距離で5.5Km程しか離れてなく、当時から現在に至るまでの不安や恐怖が ここに居る人達を覆っているのは想像に難く無い。
震災遺構にはやはり写真や映像だけでは分からないリアリティがある。東北に訪れる機会があればぜひ寄ってみてほしい。そこで見たこと感じたこと聞いたことが防災になるはずだ。
先日ニュース記事にあったが 請戸小学校の施設運営がけっこうな赤字となっているという。入場料だけでは維持管理費がまかりきれないという。
ほんとに周りに何も無いところなので飲食店や土産屋など設ければ 観光客はお金を落としてくれると思うが施設の性質上そういうのは難しいのかな。更地が広がっているのだから隣にイオンモールとか作れば人が集まると思うのだが。岡田さん。
何年か前に仙台を訪れた際、レンタカーを借りて宮城県石巻市にある震災遺構「大川小学校」に行ってきた。ここでは近くを流れる北上川を遡上してきた津波に巻き込まれて児童と教職員あわせて84名が亡くなった。
ここでの経緯や犠牲となった児童の遺族が学校側の過失を訴えた裁判の過程が『「生きる」大川小学校津波裁判を闘った人たち』というドキュメンタリー映画となっているので機会があればぜひ観てもらいたいと思います。
(ただし 悲惨な出来事だし学校側の不手際もあっただろうが、児童の遺族側からのみの一方的視点でしか捉えていないので、ドキュメンタリー映画としてはどうだろうか?と思った。これを観て亡くなった職員の遺族はどう思うのか。フィルムを繋いだだけの映画監督は何様だろうか?)
福島で寄った場所
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