DECO*27「ラビットホール」と性的逸脱メンヘラ もっとこの穴を愛してよ

ラビットホールのことを「エロい女の曲」ととる人間が多いと思う。
もちろん曲の解釈なんて人それぞれだが、境界性パーソナリティ障害の当事者から感じたことを書かせてもらう。
むろんこれがDECO*27氏の考えたものとは限らないし、私の体験したことが境界性パーソナリティ障害の全てではない。あくまで私の感じたことである。

自己紹介

どのような人物がこれを書いたのか?
これは自分語りに過ぎないので、飛ばしてもらっても構わない。

現在、境界性パーソナリティ障害は幼少期の体験によるものが大きいと言われている。
私も例外ではなく、両親からの暴力、性的虐待、人格否定などをされており、高校生になる頃にはこの性格になっていた。
初めて彼氏が出来た時は嬉しかったが、性的に求められることに虚しさを感じ、だが自分から求めた。その一方で彼氏を好きであることと嫌いであることの間で揺れ動き、それは見捨てられることへの強い不安に変わり、気を引くためにリストカットや薬物の過剰摂取を繰り返すようになった。
両親はそれを無視していた。
最終的に彼氏とは破局し、私は進学のため一人上京したがそこでも問題行動を起こし、退学し、名前も顔も知らない男性と性行為を繰り返していた。そんな自分が嫌いなのにやめられなかった。
この頃に両親とは絶縁した。
この頃には自分の価値は穴にしかないと思っていたし、今でもそう思っている。
リストカットとオーバードーズは友人たちに止められたが性的逸脱についてはいまだに話していない。
転職と引っ越しを繰り返し、現在無職である。

本題

性的逸脱に及んでいる最中はかなり愛されていると思い込めるし、終わった後は激しい自己嫌悪でいっぱいになる。

ラブと超ライク パーティションはない、ない
きみだけが特別じゃないんだ

基本的に、性行為をする人間は誰でもいい。イケメンじゃなくても、おじさんでも、できそうならする。
全員のことを嫌いなわけではなく、むしろ一時的には愛してくれることを好きになっている。だが本質的にはきっと全く愛し合ってなどおらず、信用もしていないし、好きだけど大嫌いだ。

どうしてなんで期待の戸締まり忘れるの?
最初にあれほどやめときなって伝えたじゃん

私には自己肯定感というものがなく、自分を好きになる人間には「私なんか」という思いが先行するのでこの歌詞はとてもわかる。
とにかく愛されたあと捨てられるのが嫌で予防線を張るのだ。

淋しくなったら誰でもいいじゃん 埋まればいいじゃん
嫌嫌愛して生きたくなって 死ぬまでピュアピュアやってんのん?

これは本当にそうで、寂しくなったら誰でもいい、埋まればいいのだ。
いつも死にたいのに、性行為の最中は人を愛せて、生きたくなる。まあ終われば悪化するのだが。

やあやあ 悪い子さん
まあまあ お愛顧じゃん
さあさあ 始めるよ
もっとこの穴を愛してよ
だっせ

この「だっせ」は男に言ったものではなく、自分自身に吐いた言葉ではないだろうか。


基本的に性的逸脱のある女性はメンヘラビッチと叩かれる。
同性からは嫌悪され、異性からは都合のいい穴と見られる。いいことはない。
だがやめられない。これは薬物依存などと似ているところがあると思う。
そして仮初の幸せと激しい自己否定を繰り返し、また自分が嫌いになり、自殺企図や自傷行為を繰り返すことになる。
自殺すると言っている人間は本気で死のうとはしていないと言う人が多いが、それは間違いだ。
自傷行為などを繰り返す人間を放置すればだんだんエスカレートし、自傷行為の果ての事故であったり自殺などで本当に死ぬ。これはメンヘラ神で検索するとよくわかると思う。

苦しみから逃れるためには他人から求められる必要があり、その唯一の方法が性行為である。

pixiv大百科では、ラビットホールの意味を「本来の目的から逸れてなかなか戻れなくなる」と紹介している。
本来の目的とは孤独感をなくすことだが、だんだんそれが一時的に満たされることにシフトし、性行為という手段を使うようになる。

ラビットホールはこういったメンヘラの鬱屈とした心情をポップにあらわしている名曲であると思う。
この曲をただ「スケベなビッチ」と捉えるのではなく、ぜひバニーガール目線で捉えてみてほしい。この曲の新しい一面が見えてくるのではないだろうか。

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