日記 7/15. 7/16
7/15
朝 トースト 目玉焼き ウインナー トマトスープ
昼 納豆ご飯 トマトスープ
夜 ブロッコリーとササミ
間食 ピーチタルト
なぜだか、なにも覚えていない。
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7/16
朝 トースト 目玉焼き ウインナー トマトスープ
昼 ご飯 つくねハンバーグ 味玉 ほうれん草の煮物 漬物
夜 ブロッコリーとササミ
間食 バームクーヘン クラッカー
最近、欲についてよく考える。わたしたちは常に自分の欲望に囚われたり支配されたり突き動かされたりしながら生きている。生理的な3大欲求は、きちんと満たしていかないと健康を害してしまうので積極的に満たしていけばいいと思うが、その他の欲、たとえば 物欲、承認欲、自己顕示欲、金欲、優越欲、などの欲望たちは、扱いがほんとに難しいなーと思う。このように欲を羅列していくと、なんだか卑しく欲まみれな感じがするが、このような欲望は、厳しい修行でもしない限り、ほとんど全員が無意識に抱いている欲であると思うので、特別悪いものというわけでもないだろう。"〇〇がほしい!"とか、"〇〇には負けたくない!" とか、"みんなにすごいと思われたい!"とか、"〇〇の地位につきたい!" とか、そういう気持ちがモチベーションになり、成長できることも多々あると思うから。しかし、このような欲望を満たそうと頑張るあまり、いつのまにか視野が狭くなってしまったり、心の余裕を失ってしまっていることがあるだろうな という客観的な目線を自分に向けていないと、結構息苦しくなってしまうことが誰にでもあると思う。なにかに執着することでしんどくなったり鬱っぽくなったり苛立ったりしている様子は、あまりにも美しくない。
たしかに、欲しいものがなんでも手に入れば嬉しいだろうし、お金がたくさんあったらいい気持ちになるだろうし、みんなから称賛されれば心は満たされるだろう。
だけれど、少し考えてみてほしい。今まで生きてきて、欲しいものが手に入った時、周りの人から褒められた時、競争相手に勝った時、もちろんその瞬間、一時的には幸せだし満たされただろうが、その幸福感は、今この瞬間も持続しているだろうか。ある欲望が満たされたその瞬間には、自分はもう満足したと思っていても、しばらくしたらまたすぐに、次は〇〇が欲しい、もっとこうしたい、さらにこうなりたい、もっとこうなったらいいのにな 等、欲望の矛先がまた次の対象に向かい、結局以前と同じように、自分はまだ満たされていない、という感覚を抱いていることが、ほとんどではないだろうか。
そもそもわたしたちがさまざまな欲を抱く根本的な理由は、"幸福になりたいから" 、これに尽きると思う。欲しいものやお金を手にすれば今より幸福になれると思うから、周りの人から褒められ賞賛される状況は幸福だと思うから、他人より優れた自分になれれば幸福だと思うから、わたしたちはみな次から次へと多種多様な欲を抱いてしまうのだろう。傍目から見てどんなに意地汚い欲を抱いている人がいたとしても、その根源には、"幸福になりたい" という純粋な気持ちがあると思うのだ。それなのに、欲を抱くことで、自分はまだ満たされていない不完全な状況にあると感じ、焦燥感や渇望感を抱いたり、他人と比べて自分を卑下したりして苦しんだりして幸福感を感じられなくなっているというのは、なんだかとても矛盾している。だけれどわたしたちは出家でもしない限り、これからも俗世で生きていかなければならない普通の人間たちだし、そのような欲を全て切り捨てて無欲になるなんてことはできない。でも出来る限り、欲への余計な執着は捨て、足るも知り、肩肘張らずに身軽に生きている方が、自分も楽だし、人間としてすっきり潔くてなんかいい感じがするし、いろいろなことにこだわりすぎてドロドロした感情に支配されている人間よりも、かえって豊かな感じさえする。ある欲を満たしたところでしばらくしたらどうせまた次の対象を欲してしまうというわたしたち人間の性質を理解せずに、一時的には欲を満たして満たされて、でもまたなにかが足りない感じがして、つぎの対象を見つけてはまた欲しがって……という一連の流れをゼェゼェハアハアしながら繰り返しているのって、かなり間抜けだ。
無欲になることは無理だしそこまでする必要はないと思うが、こんな底無し欲望ループには陥らないよう、適度に欲しがり、去るもの失うものは追わず、身軽に、自分が今持っているものを慈しみ、そうしているうちに自然に新しく得たものを、大切に愛しながら生きていくのが、賢く粋な生き方だろうなーと思う。
肩の力を抜いてみて、初めて感じる豊かさは、さらりとしていて、きっととても心地がいいはずだ。
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