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猫の看取り


はじめに

 2024.2.20、愛猫カフェを失いました。保護猫でしたので推定11〜12歳。人懐こく賢い子でした。

 今回はこの愛しい家族「カフェ」のことを中心に、1年前に亡くなった「カフェ」の子供「ラテ」のこと、「カフェ」のおそらくの死因である「乳腺膿瘍」についてなどをお伝えしていきたいと思います。

 今でもまだ全く受け入れられず、突然涙が溢れ息が吸えなくなったり、鳴き声や足音が聞こえる気がします。
 そんな状態なので、いつ公開出来るかわかりませんが、「乳腺膿瘍」のこと、猫のこと、そして「カフェ」のことを知って欲しいと思い記事を書いています。

 ちなみに今日は2024.3.7です。泣き始めると綴れなくなるので時間がかかります。ご容赦ください。

 長い文章になると思いますし、なかり詳しくお伝えする予定なので、誰でも気軽に読んでください! とは言えません。ただ、猫好きさんには、飼う前にいずれ必ず別れが来ることの「覚悟」のために読んでいただけたらいいなと思います。特に高齢、メス、避妊手術をしていない、もしくは2歳以降に避妊手術をしたネコさんのご家族様には読んで頂きたいなと思います。
 ペット保険に加入しようか考えていらっしゃる方も、参考になれば良いなと思います。

 ただ、カフェの最期は私が実際に見たことを記すので、生々しいかもしれません。
 その部分は太字にしますので、読みたくない場合は飛ばしてくださいね。
 逆にその部分だけを知りたい場合は、目次「カフェの最期」をお読み下さい。

我が家の3匹の保護猫

 2016年に、保護猫活動をされているグループから2匹の猫をお迎えすることになりました。母娘で、母猫は「カフェ」、娘猫は「ラテ」と名付けられていました。
 名前は変えても良いですよと言われましたが、とてもしっくりきていたのでそのままの名前で暮らしていこうと決めました。 

 初めての多頭飼いなので悪戦苦闘しながらも、多頭飼いならではの喜びも知りました。
 そんな生活が過ぎ、翌年の4月に、私が一目惚れしてもう1匹お迎えすることに。
 そんなこんなで合計3匹との賑やかな暮らしが始まりました。

 キジトラの柄が入っていて色はサビ色のカフェ、茶トラのラテの母娘と、ヒメというサバ白。甘えん坊のカフェにビビりのラテ。そしてヤキモチ妬きのヒメという個性が違う家族との暮らしは、持病の為に入退院を繰り返す夫と、いつもそれを送り出す私、それぞれの不安を和らげ癒してくれました。
 特に母猫のカフェは私にとって特別で、私が飼い主で,、私のことを「お母さん」と認識させているにも関わらず、辛い時や心細い時はまるで私の方が子供のように、カフェに慰めてもらっていました。
 カフェはペットで、家族で、子供で、お母さんでした。

2023年2月26日の話

 2121年、茶トラのラテの元気が突然なくなり、慌てて動物病院へ連れて行きました。結果は「重症貧血」。輸血と注射、薬で様子を見ます。
 しかし、1ヶ月もするとまた元気がなくなってしまう。結局、身体で血液を作る力が弱くなる病気ということで、ほぼ毎月輸血を続けることになりました。
 そんな日々が1年程続きましたが、2022年11月1日、外出から帰宅するとラテが這いつくばって移動しています。よく見ると後ろ脚が全く動いていません。
 抱き上げても後ろ脚は両方共ダラリと下がったまま。
 ラテの後ろ脚はその後ミイラ化し始め、結局切断するに至りました。

 その様子はこちらの記事に記載していますが、ミイラ化した脚の写真なども載せているため、一部有料となっています。
 ご興味のある方はこちらをご覧ください。

 母猫のことが大好だったラテ。甘えるのが下手で、控え目に、誰もいない時にコソッと身体をすり寄せてくれた愛らしい娘は、両下脚切断から約3ヶ月で亡くなってしまいました。
 脚がなくても自分でトイレに行き、母猫カフェの傍に行くためベッドによじ登るような頑張り屋さんでした。

今回のこと(乳腺膿瘍)

猫の乳腺膿瘍……カフェの場合

 カフェの死因となったであろう「乳腺膿瘍」について、気付いてから摘出なしで過ごすという選択をするまでを綴っていこうと思います。

 動物病院で乳腺膿瘍と言われてから、症状についてネットなどで調べました。このあとの小見出し(・~~ となっているところ)は、私がネットで調べたときに載っていた情報です。それについてカフェはどうだったか、病院と私はどういう選択をとったかをネットの情報と併せて綴ります。

・胸のしこりは乳腺膿瘍

 上の、ちょっと強面の子がカフェです。とても人懐っこく賢い子です。
 前述のようにこの子は保護猫で、保護猫活動をしているグループの方から譲り受けました。ですので年齢はわかりませんが、譲り受けてすぐに連れて行った動物病院で、大体3~4歳だろうと言われました。
 カフェは保護されたとき子供に授乳している状態だったので、子猫の断乳後に保護団体の方が避妊手術をしてくださり、その後で我が家にやってきました。ちなみにカフェの子供であるラテは我が家で避妊手術を行ないました。大体7ヶ月~1歳位だったのではないかと思います。

 カフェのしこりに気が付いたのは1年程前だったと思います。その時はしこりだと気付かず、右と左で何か触り心地が違うかなという感じです。
 この時点で気付いていれば、もしかしたらカフェは助かったかもしれません。自分が許せないです。

 ハッキリとした「おかしさ」に気付いたのはそれから半年後位。カフェが自分の毛を嚙みちぎるようになりました。特に酷かったのが尻尾と右胸、右脇のあたり。
 カフェの子供であるラテが亡くなってストレスを感じているのかな?と思い動物病院へ連れて行きました。
 ラテのことも診ていただいていた病院でしたので、先生もスタッフも事情はわかっています。そのうえでカフェの状態を先生に伝えました。
 その時に、ついでのつもりで伝えた右胸の異常に、先生は「これは乳腺膿瘍だね。取らないといけないけど、体重と年齢が問題だなぁ」と。
 カフェはその時2キロ程度、オペができる体力がないということでした。

・乳腺膿瘍は90%悪性

 「取る」ということは、オペしないといけないということです。乳腺膿瘍は90%が悪性で、薬では治らないとネットに載っていました。
 先生の助言に従ってご飯を替え、好きなものを食べさせて体重を増やすことを最重要目標にして過ごしました。その間もしこりは少しずつ大きくなっていきます。胸の毛をむしるのは、きっと痛い、むずがゆいといった不快感があるからでしょう。

・悪性の乳腺膿瘍(乳がん)の余命は約1年

 カフェは元々食いしん坊です。高齢なので固い物は丸飲みしてしまい吐くこともありますが、与えたものは何でも食べてくれます。
 それなのに、段々食欲がなくなっていき、しこりは大きくなり続けます。
 乳腺膿瘍の90%は悪性。つまり乳がんです。ネットによると、手術をしない場合、発見から亡くなるまで1年程のようです。

・乳がんは肺やリンパ節に転移しやすい

 体重を増やせないまま、また動物病院へ。先生にしこりを診てもらったところ、
「ここまで大きくなると、恐らく肺に転移しています。この状態でしこりを取ると、肺にあるがんが大きくなって、返って余命を短くすることになりますよ」
 猫の乳がんはリンパ節や肺に転移しやすく、しこりに気づく頃には大体が肺に転移しているそうです。
 私はカフェのオペを諦め、先生に言われたように、とにかく体力をつけさせること、体重を増やすことに集中しました。

 しかし、とうとうしこりが自壊し、浸出液が出てきました。カフェは気にしてしきりに舐めますし、次第に膿が大きくなり嫌な臭いがしてきます。
 そして、浸出液は内部にも溜まり、カフェの右脚は左脚の1.5倍程になってしまいました。
 下の写真は右を上にしています。こうしてみるとそんなに痩せていないように見えるかもしれませんが、右側は少し浮腫んでいて、右前脚と、その下の左前脚の大きさの差がわかるかと思います。

・2歳以内に避妊(去勢)手術をすると乳がん率が圧倒的に下がる

 カフェがこうなってから調べたところ、猫の悪性腫瘍の第一位は乳がんなのだそうです。ほとんどがメス猫ですが、オス猫もなる可能性があるらしいです。
 ですが、避妊(去勢)手術をすることで、乳がんの可能性は圧倒的に下がるらしいです。
 どれ位発生率を下げられるかと言うと、生後6ヶ月以内だと90%以上、1歳までだと86%程度、2歳までだと11%程度下げられ、2歳を超えるとあまり意味がないそうです。
 避妊、去勢をするのに抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、多頭飼崩壊の防止の他、乳がん防止のためにも避妊、去勢はした方が良いのではないかと思います。
 我が家の猫たちは、カフェ以外は1歳位で避妊手術をしています。カフェだけは保護した時にはもう成猫だったので避妊手術での乳がん防止の効果はなかったのだと思います。

カフェ 最期の日 前日

2024.2.19
 消毒液が無くなったので動物病院へ行きました。消毒と注射をしてもらい、自壊部の臭いの相談をしたところ、局所麻酔で処置を行なえば軽減されるとのこと。
 ただ、体重が足りない……
 2キロになったらやりましょうと言われました。この時カフェは1.7キロ。それでも頑張らなくては。

 そしてもう一つ、聞かなくてはいけないのに勇気がなかった質問をしました。
「先生、カフェはいつまで生きられますか?」
 
しこりの大きさが3㎝を超えている時の猫の余命は数ヶ月。カフェのしこりが大きくなってからもう数ヶ月経っています。覚悟をしなければいけません。
「梅の花が咲くまで頑張ろうか」

先生はカフェを撫でました。

 カフェはこの頃、長く歩けなくなっていて、私の部屋に来ることもできず、二つ作った「カフェの家」とトイレ、ご飯のところにしか基本居ませんでした。
 ただ、私がテーブルに座っていると傍に来ていたり、私の事が見える場所に居たりしていました。不安だったのかもしれません。自分の最期を感じていたのかもしれません。

 しかし、私は気付きませんでした。お別れが近いと思っていても、理解していても、それが今日だとは、明日だとは考えてもみなかったのです。
 いつものようにしていればいつものような日が続くと、自分勝手に思っていました。
 もっとカフェの目を見つめ返してあげていれば良かったです。もっと抱いてあげれば良かった。

カフェの最期を読んでいただくにあたって

 カフェの最期をしっかりと理解して、きちんとお別れができるよう、猫の最期に関しても前もってネットなどで調べました。このあとの「カフェの最期」という見出し内の小見出し(・~~ となっているところ)は、私がネットで調べたときに載っていた状態です。
 後述すると思いますが、カフェはほぼ調べた通りの経過を辿りました。
 突然死でない限りは参考になると思いますので、ネットの情報プラス私の経験ということでお読みいただければ幸いです。
 もちろん全ての猫さんがこの経過を辿るわけではないでしょうし、論文などではなくネットから拾った情報とカフェの状態の記録であることを何卒ご理解下さい。

カフェの最期

 ここからは、カフェの異変から最期までの様子を、できるだけ詳細に記します。
 グロテスクな表現はしないつもりですが、臨場感があると思うので、気分が悪くなったら太字の文章は飛ばしてください。

・猫は人に死に際を見せない

 その日は夫の通院日で、朝からせわしく準備をしていました。カフェはいつもの段ボールで作ったおうちで寝ていました。
 夫を送り帰宅したのは10時頃だったでしょうか。カフェが段ボールのおうちにいません。
 猫は人に死に際を見せないとよく聞きましたので、まさか……と思って隙間や家具の下を捜しました。

・伏せの態勢は弱っている

 カフェは、夫の介護用ベッドの下で、犬で言う「伏せ」の姿勢でじっとしていました。動物は弱ると自分の弱点を見せないように、腹ばいになってお腹を隠し、自分の身も隠すのだそうです。
 それで、もうかなり危ないのだなと感じ傍に寄ってみると、吐しゃ物なのか便なのかわからない茶色の液体が、太めの筋状に十センチ程のびていました。お尻側にあったので便だったのかなと思いますが、今までそういったことがなかった子だったので、なおさら不安になります。
 カフェの顔側に行き顔を見て「カフェ、おいで」と話しかけると、ゆっくりとベッドの下から出てきてくれました。

・苦しい時に喉を鳴らす(カフェは唸り声っぽかった)

 猫は甘える時や不安な時にゴロゴロと喉をならします。カフェはとても大きな声でゴロゴロ甘える子でした。でも、最近は少し苦しそうな(人間でも息苦しい時にウーンウーンと言うと思いますが)ウーンウーンという声も混ざり合ったゴロゴロになっていました。その日、カフェが私のところに来てくれた時、甘えのゴロゴロはほぼなく、ウン……ウン……という唸り声になっていました。

 出てきてくれたカフェを抱っこして、たくさん話をしました。もともと3匹の中では1番抱っこしたし、お散歩もしたし、お話もした子でしたので、いつもの通りといえばいつもの通りなのですが、いつもよりたくさん感謝の気持ちを伝えました。
 なんとなくわかりました。最期の日ということを。

・口呼吸が始まるともうお別れが近い

 吐息が一層苦しくなっていったので抱っこしながら座り、カフェを膝の上に降ろしました。少しの間そこで私に撫でられてくれていましたが、辛くなったのか、自分から段ボールのおうちに入っていきました。私の方に背を向けた形になったので、姿を見ようと顔を覗き込んだら、カフェは口呼吸をしていました。
 口呼吸はかなり苦しい状態でお別れが近いとあったので、何度も名前を呼び、大丈夫だよ、お母さんはここにいるよ、などと話しかけながら背中や体を撫でました。しかし普段なら撫でると目を瞑って落ち着くのに、その時はクルクルと箱の中で回っていました。どうやら自分で楽に居られるポイントを探しているようだったので、カフェが落ち着くまで見守ることにしました。

・口呼吸と鼻呼吸を繰り返し意識がもうろうとする

 箱の中で楽になれるポイントを見つけたのか、左側を上にして、私に顔を向ける形で横たわりました。その時は鼻呼吸で、呼吸は浅めで速かったです。
 しばらくすると、また口呼吸になりました。口呼吸というのは、犬の普段の口元のように口を開いた状態に見える呼吸です。カフェの場合は舌は出ていませんでした。数秒~数十秒口呼吸をして、数十秒~1分程鼻呼吸というような感じで呼吸をし、徐々にどこを見ているのかわからない眼になってきました。
 呼びかけても返事をせず、こちらに向くこともなく、耳も動きません。多分意識がないのかもうろうとしていたのだと思います。
 この期間にのたうちまわる動作をしました。何度も寝返りを打つような感じで、左右に転がり脚はもがくような仕草でとても苦しそうでした。この時も「カフェ!」と呼び掛けても返事はなかったのですが、眼の感じが苦しさのせいで正気に戻って来たような感じでした。
 この苦しむ動作は時間的には短く、5秒もなかったと思います。苦しんだ後、元の位置(左を上にして私の方に顔を向けた状態)に戻り、口呼吸と鼻呼吸を繰り返す。そして数分後また苦しむ。これを3回程繰り返しました。

・下顎呼吸と痙攣

 上になっている左の前脚に力が入っていたので、そっと握って「お母さんだよ。傍にいるからね」と声をかけました。わかっているのかはわかりませんが、爪を収めてくれました。
 しかしやはり辛いのか、私の手から自分の前脚をずらして私の手を傷つけないようにしてグッと爪をかけます。カフェはお迎えしたときから人に向かって引搔いたり噛んだりしたことがありません。こんな、最期の時になってもやはり賢い可愛い子です。

 いつからか、そんな仕草もなくなり、下顎呼吸だけになりました。横たわったお腹を確認すると、呼吸がとても遅くなっています。眼も明らかに何も見ていないことがわかります。
 猫の最期を調べたときに「意識を失う」という記述がありました。私はてっきり目を閉じた状態(眠っているような状態)になるのかと思っていました。しかし、眼は開いていました。名前を読んだり、耳元で手をパンッ!と叩いたり、眼の前に私の顔を持っていっても、カフェの眼は反応しませんでした。
 私にとって、カフェがまだ生きていることがわかるのは、たまに出る「下顎呼吸(かがくこきゅう)」と痙攣だけでした。

 下顎呼吸は、最初私は口呼吸のことだと思っていたのですが(正確にはそうなのかもしれませんが)、私が「これかな?」と思ったのは、口呼吸の口の形で、数秒に1度位の割合で「ハッ」または「カッ」みたいな音をさせて1度だけ呼吸することを繰り返す呼吸です。
 何秒かに1度「ハッ」と呼吸しながらビクッと痙攣する。この時の眼も何も見ていない状態です。
 この下顎呼吸がしばらく続きました。

・大きな痙攣と下顎呼吸

 何回かの下顎呼吸の後、のけぞるような痙攣を1度するようになりました。下顎呼吸の速度は「ししおどし」くらいで、何度か繰り返した後のけぞるような痙攣。これを何周かしていると、次第にのけぞるのではなく内側に丸まるようになりました。
 何回かの下顎呼吸の後、丸まるような態勢。脚にも力が入っていました。それが緩むように自然に身体が戻るとまた下顎呼吸、といった感じです。
 調べてはいたけれど、その通りになっていく怖さ、本当に調べた状態が今見ているカフェの状態なのかの不安、持ち直してくれないだろうかというほんの少しの希望、でも叶わないだろうという諦め。
 全ての思いを込めてカフェに語り続けました。
 大好きだよ!
 頑張って!
 ありがとう!
 良い子だね!
 可愛いね!
 賢いね!
 カフェ!
 カフェ!

・最期の時 最後まで機能しているのは聴力

 もういつ最期の時を迎えるのかわかりません。生きている間に感謝を届けなければ。ネットの情報だけなので、本当に最期の時に気付けるか自信がなかった私は、一生懸命ありったけの感謝と愛情を伝え続けました。
 (人間も同じらしいのですが)猫が最期を迎える時、一番最後まで機能しているのは聴力なのだそうです。だからこちらを見てくれていなくても、私が気付かない間に逝ってしまっても、私の声を聴きながら逝けるように、ずっとずっと伝え続けていました。

 いつからか、ほぼ下顎呼吸と痙攣だけになっていました。たまに意識が戻るのか、前脚でもがくような仕草をしたり、丸まるような体勢になったりしましたが、それらはほんの2,3秒でした。

 しばらく下顎呼吸が続いた後、カフェは大きく息を吸いました。身体を反らせ、身体全体で息を吸うようにめいっぱい吸い込むように大きく大きく吸いました。
 そして、
「ぐううううう」
 という、人間でいういびきを吐くときのような声を出しながら、全ての息を吐き切るような感じで身体を丸めました。

 丸まった身体がゆっくりと元に戻ってくる途中で、カフェの眼の輝きが変わりました。一目でわかりました。

 カフェの命が終わった瞬間でした。


 出来るだけ正確に出来事を綴りたかったのですが、残念ながらこの先はあまりよく思い出せません。あまりにも気が動転していて、何をどうしていたのか少し記憶が抜けています。
 いつ抱いたのかわかりませんが、私はカフェを抱きしめていました。ずっと抱きたかったけれど、カフェの望む姿勢にさせないと苦しみが増すのではないかと思い、抱くのを我慢していました。
 ずっとカフェに話しかけていた感謝の言葉は、いつのまにか「いやだよ」「置いて行かないで」に変わってしまっていました。
 どうしていいかわからなかった私は、カフェを抱いて全ての部屋を歩いて回ったと思います。
 トイレやお風呂の前では、私が出るのを何故か待っていてくれたね。最近来てくれなかったけど、私のベッドの枕の上に寝そべるのが好きだったよね。お父さんが何かを食べ出すと必ず傍にいたね。
 部屋を回るときに私がカフェに何を話していたのか上手く思い出せないのですが、今はそんなだったかなとを思います。
 この家の全てにカフェはいました。

 ここで初めて時計をみました。
 2024年2月20日 12時14分
 推定11~12歳でした。

・死後硬直の前に (猫の死後硬直は早くて1時間後から始まってしまう)

 猫は(多分他の動物も)亡くなる時、生きている時のような姿にはなりません。丸まったりしていないし、目も開いています。
 死後硬直の前でないと姿勢を整えてあげることはできません。
 亡くなった直後の姿勢はあまりに生々しいので見ている方も辛さが増すと思いますし、箱に入れてお葬儀、火葬される時も眠っているような姿勢にするのが良いと思います。

 ネットでは、猫の死後硬直は早くて1時間とも2時間とも記載されていました。
 カフェは1.7キロととても軽かったので、死後硬直も早くなったしまうかもしれないと思った私は、まず、カフェをいつもの姿勢にしようと思いました。
 まず、開いている目の瞼を閉じてあげようと瞼を下ろそうと思ったのですが、瞼はなかなか下りず、何度も何度も下にさするようにして、やっと薄目を開けた位の状態にできました。
 その後で、背中をさするように徐々に背中を丸く整えて、いつもカフェがしていたように、後ろ脚を前脚で抱えるような姿勢にしていきました。
 私がそのような姿勢にしたのに、まるでカフェは生きているようで、また起きてくるような気がして、ずっと話かけていました。

 13時頃になると、もう脚に死後硬直が始まってきました。
 死後硬直をすると、もう生き返ることはないそうです。
 お別れだね
 本当にお別れだね

 ここまでが、カフェの最期でした。


梅の花

「カフェはいつまで生きられますか?」
と聞いた時、獣医さんは
「梅の花が咲くまで頑張ろうか」
と仰いました。
 カフェを失って少し経った後、Xを開くと、多分、私のポストを読んでくれたのであろうフォロワーさんが、
 2/20に梅の花が咲いた
とポストしていました。

 梅は咲いていました。
 カフェは、梅の花が咲くまで頑張ってくれたんですね。
 どこまでも賢い子でした。

看取る事ができなかった時(ラテは朝、既になくなっていた)と、看取ることができた時の違い

 我が家は1年で、大事な家族を2匹も失ってしまいました。
ラテの時は朝起きたらすでに亡くなっていて、看取ってあげることができませんでした。カフェの時は最期のその時まで見届けることができました。
 ラテの時は、ラテが苦しんでいることに気付いてあげられなかったことをとても悔やんでいますし、看取れたカフェのことは、最期の時が頭の中でずっと再生し続けています。

 どちらも同じように悔いが残っていますし、やるだけやったとはとても思えません。これからもずっと後悔し続けるでしょう。
 誰にも解決できません。癒せません。抱えて生きていくしかないのだと思います。
 カフェもラテも、もうどこにも居ません。カフェとラテのことを知っている人の記憶の中にしか存在しません。

 

私の信条ゆえの苦しみ

 私は人生のある時から、神や仏、生まれ変わりといったことを信じることができなくなりました。
 なので、カフェもラテも虹の橋を渡らないし、どこかで待っていてくれることもありません。お空にもいません。埋めた土の中にいます。
 カフェもラテも、実家の敷地内の土の中に埋めました。肉体は腐り、微生物の餌になり、それらがまた何かの餌になって命を紡いでいくでしょう。
 生まれ変わることはないけれど、生まれる何かの為になっていく。それが私の中の自然の形で、生まれ変わりだと思っています。
 現世のみと思うから、カフェとラテとの別れはとても辛いものでした。だって、虹の橋を渡ることも、どこかで待っていてもくれないですから。傍にいてくれることもないです。鈴の音が聞こえるのは幻聴だと私はよくわかっています。

 私は私の中に、記憶以外の願望をあの子たちに求めることができません。
あの子たちはもういません。どこにもいません。
 私の信条ゆえに、あの子たちは天国にもお空にもいけなくなってしました。申し訳なく思っています。


後悔と決意

 私が早くしこりに気付いていたら。
 もっと構ってあげていれば。
 そして、多少なりとも【手当が面倒だ】と思わなかったら。
 カフェの生命は1日であっても延びたかもしれません。

 後悔はしてもしてもしきれず、還ってこないのは百も承知なのに鈴の音や足音を聞き、居ないとわかっているのに暗闇にシルエットを見つけます。
 カフェの最期にたくさん語りかけた言葉。カフェが元気な時にも言っていたけれど、もっと言えばよかった。もっと言えたのに。私には言える時間があったのに。

 カフェは私に牙ひとつ爪ひとつ立てたことはありませんでした。賢い良い子でした。それなのに足りないことだらけの悪い飼い主でした。大好きだよと、可愛いねと、ありがとうと、それを言った数すらカフェがくれたものに比べたら全く足りませんでした。

 もう新しく動物は迎い入れません。

 この子で最後にします。

 我が家では末っ子にあたる「ヒメ」。この子を見送ったら、動物を飼うのはおしまい。
 譲り受けた時から鼻が悪い子で、いつも鼻をならしています。とても可愛いです。布団に入ってくる唯一の娘です。
 我が家で飼う最後の家族。大事に過ごしていこうと思います。


ペット保険をお考えの方

 我が家は入っていませんでした。ペット保険は結構な値段だと聞きます。加入するか迷っている方もいると思います。
 我が家の場合、結果的に入っておいて良かったのではないかと思っています。
 参考のために、レシートを保存してあった分についてだけですが、我が家の医療費を載せておきます。

・カフェ(令和4年~令和6年)——25,630円
・ラテ(令和4年~令和5年)――206,560円
・ヒメ(令和4年~令和6年)——12,870円

 予防接種は省いた金額です。

最後に

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 支離滅裂な文章だったかもしれません。カフェの最期に関しては出来るだけ正確に綴ったつもりですが、読み返す勇気がまだ持てません。
 また時が経てば改めて読み返して修正するかもしれませんが、お伝えしたい事を徐々に忘れていってしまってはいけないと思い、私なりに急いで文章にしたつもりです。

 私は心の弱い人間なので、今は薬の力を借りて毎日を過ごしています。飲まないと全く眠ることができません。
 薬の量を数錠増やしました。夢を見ます。たまにカフェとラテも出てきます。1年前に普通だった日々が出てきます。
 目が覚めるとラテがいません。カフェがいません。本当は夜も昼も、もういつもいつでもあの子たちはいません。わかっています。
 それでも鈴の音が鳴りやまなかったり、シルエットが見えたりします。そして、薬を追加します。
 これがペットロスというのでしょう。

 たかがペットと思うかもしれませんが、数年間一緒に過ごしました。そして、ご飯やトイレの世話、遊んであげたり病院に連れて行ったり。
 子供と同じなんです。手をかければかけるほど情は深くなります。

 それでもいつかは少しずつ少しずつ、忘れたくないけれど忘れていくのでしょう。良い思い出も最期の悲しみも。

 今、少し起き上がれたような状態です。もう少し起き上がれたら、歩き出そうと思えたら、また思い出したことや伝えたいことを綴ろうと思います。
 色のお話や、カフェが亡くなる前から再開したお筝なども、前を向いて自分の人生を生きていこうと思えるようになったら、また始めたいと思います。

 ありがとうございました。

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にじまる
ありがとうございます! 更に精進します!!