トロッコ問題から考える
倫理学の有名な命題に「トロッコ問題」というものがあります。
「あなたは洞窟の中で採掘をしている作業員です。
洞窟の中の高台から見下ろすと、重い荷物を乗せたトロッコが5人の作業員目掛けて全速力で走っています!このままでは5人全員轢かれて死んでしまうでしょう。
しかし、あなたの目の前には、線路切り替えスイッチがあり、スイッチを押すことで5人を救うことができます。
ただし、切り替えた線路には、1人の作業員がいて代わりに犠牲になってしまうでしょう。
あなたは、スイッチを押して1人の犠牲にしますか?それとも、スイッチを押さずに5人を見殺しにしますか?」
倫理学の問題にありがちな、『どちらが正解とは言えない』問題です。
先日、ネットラジオを聴いているとこの問題が流れて、パーソナリティが様々な意見を述べていました。
「5人を生かした方がいい!」「スイッチを押す責任を負いたくない」など、どちらの気持ちもわかる内容です。
実際、僕も去年と今とでは、意見が180度異なっていました。
以前は、人殺しの責任を背負い続けていくことは嫌だから、スイッチは押さないと答えていました。
しかし、今の僕はスイッチを確実に押します。
なぜなら、スイッチを押さなければ
「たくさんの人を見殺しにしてしまった」
と後悔すると思うからです。
でも、多くの人から「人殺しをしてでも押すの?」って言われそうですね。
確かに、スイッチを押したときには、「1人を殺してしまった」と思い悩むでしょう。
それでは、スイッチを押さなければ悩まないのですか?
いや、きっと同じように僕は悩むでしょう。
「5人を見殺しにしてしまった」と
僕はどちらにしろ、人殺しです。
同じ人殺しならせめて、自分のした選択に後悔を少なくしたいです。
だから、僕はスイッチを押します。
世の中には全員を救える答えがあると、僕は信じています。
全力で大声を出したら、トロッコに気がついて避けれたかもしれません。
もしかしたら、トロッコをスリップさせる手段があるかもしれません。
最後まで、全員が幸せになれる手段がどこかにあると、わがままなことを考えています。
しかし、時間や力が不足して、満足な答えが出せない時もあるでしょう
無慈悲な選択しか僕の前に現れない時もあるでしょう
そんなときに
『自分の後悔がない選択を選びたい』
これが僕なりのトロッコ問題の答えです。
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