目的地は必要ない
富山の改札には人が立っている。
比喩表現でも何でもなく、改札の中に人がいるのだ。
僕より世代が上の人は、自動改札がまだ一般的ではなかったため当たり前だろうが、20代から見ると異様な光景に見えてしまう。
さらに驚くことに、有人改札なのにICカードは使えるということだ。駅員さんの前に置かれた読み取り機が違和感を一層引き立てている。
ただ、僕が今日降車する駅には、ICカードの読み取り機がないようで切符を買う必要があった。
「券売機で切符を買うのなんて何年ぶりだろう?」携帯電話がICカードになって以来、券売機の前に立つことがなかったため前回券売機を利用した記憶が全くなくなってしまった。
他人のスマホを扱っているように、ぎこちない操作感で購入を進めると
「降車駅はどちらですか?」
という表示が出てきた。一瞬のとまどいの後に目的地を選択した。
僕がとまどいを感じた理由は、決して操作がわからなかったからではなく
ICカードを利用してから目的地を選ぶということを辞めてしまったことに気づかされてしまったことにだった。
バンプが悲鳴をあげる車輪に乗った後に、彼女の切符の目的地を見つけたように、僕たちの切符にはいつも目的地があった。
しかし、今の僕たちは目的地を決めて電車に乗る必要はない
車掌さんから「どちらまでですか?」と聞かれても、「わかりません」と答える権利を持っているのだ。
不思議なことだなと思う一方で、目的もなくふらふらすることが自分にあっているなとゆとりのある時代に生まれた人らしい考えに至ってます。
車掌さん、「どちらまで」と野暮なこと聞かないでくださいね。
僕には「決めてません」と野暮な返事しかできないので
と、野暮な考えをしながら旅を続けています。