オリジナル連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その84
84. 舞台の下で名芝居を打った大根役者さなだまる
早稲田から神楽坂まではたったの一駅だ。
これはもう覚えた。
前に佐久間さんのピアノ発表会で来た場所だ。
あの時はかなりの弱虫で
景気付けにビールをたらふく飲んでから来たので
あまり覚えていない。
今こうして、
ゆっくりと街並みを眺めながら散策すると
神楽坂は京都に似ている気がする。
路地がやたらと多く、石畳が敷かれている。
車のあまり通らない道。
閑静で小さなお店がいっぱい並んでいる。
そんな風情豊かな事を考えながら
由紀ちゃんと並んで歩いた。
由紀ちゃんが街路樹を見上げながら言った。
「神楽坂ってフランスのパリの街みたいなんだってさ。」
「へぇ。パリも兄弟か。」
「兄弟?」
「うん。兄妹か姉弟かしれへんけど。いや、京都にも似てる気がしてね。じゃあ3姉妹かな。はは。そや!由紀ちゃんフランスに行きたいって言うてたもんなー。」
「うん。もうフランス語の本も買って読みまくってるよ。」
「ほえー。すごいね。絶対行った方がいいで。」
「絶対行くー!フランス文学好きなんだよねー。フランスに住みたいなー。フランス人みたいな小説が書きたいなー。」
石畳をブーツで歩くと
なんとなくアーティスティックさを感じる。
私たちは普段の私達ではなくなっている。
もう見るからにアーティストの卵だ。
このままこの道を二人で歩いていれば
25歳にはアーティストになっているだろう。
膝までのロングコートが似合う
洒落た大人になっているはずだ。
今日の私たちはまるでパリのシャンゼリゼ通りを歩く
チェロ弾きと小説家だ。
もちろん私がチェロ担当だ。
そんな風に私たちは5つも6つも大人になった気分で
神楽坂の街並みに溶け込んで歩いていた。
話の内容も街並みに溶け込んでいく。
「真田くん。『悲しみよ こんにちは』って本、知ってる?」
「うーん。たぶん知らないかな。」
「面白いんだよ。今度貸してあげる。」
「フランス文学?」
「うんそう。描写が独特なんだー。書いた人さ、18歳でその本書いたんだよ。18歳だよ。すごいよねー。今の私達と同じ年だよ。あ、真田くんは20歳だったね。」
「そやね。俺はもうダメやね。アウトやね。18歳デビューには間に合わなかったオッサンやね。」
「きゃはは!ごめんごめん!落ち込まないで!ところで真田くんはどんな本読むの?」
「んーと俺は・・・もうこの世にいない人がこの世にいた時に書いた本しか読んでいないことに最近気付いたんだねぇ。よく気付いたねぇ。」
「どういうこと?」
「もう死んだ人の本ばっかり読んでんやねん!これが!見事に!会いに行けない人ばっかり!」
「へえー。面白いね。生きててもなかなか会えないかもしれないけどね。」
「そうか。でも死んでるから説得力あるんかな。なんせもう死んでるからね。文句あっても言えないし。」
「ほんとだね。価値上がるよね。ゴッホみたいな感じかなぁ。」
「あーそうそう。そんな感じやね。」
素敵な会話をしながら歩いた。
散歩だけで3日間くらいは話せそうだ。
劇場に着いた。
なんと一番前の席だった。
舞台の上の木やら月やらのセットが大きく見える。
セットの後ろは真っ暗で、
まるで夜の闇を演出しているかのよう。
もう舞台の奥はどこまでも続く夜の闇のようで
幻想的だった。
お芝居が始まった。
役者の何人かと私は目が合う。
私の目の黒目の中の網膜の中心を
まるでダーツの矢を射るように
視線を貫いてくる力強さ。
「この月のように私達は毎夜毎夜と演じるのだ!」
そして手を伸ばして叫んでくる。
まるで私に言っているかのように。
「おい!どこに行くっていうんだ!お前には芝居しかないじゃないか!」
「俺はまだ若いんだ。普通の暮らしってのがどんなものか一度試しに見に行ってくるだけだ。すぐに帰ってくるよ。」
「絶対戻って来いよ!絶対だからな!」
衝撃的だった。
プロのお芝居というのはこんなにも迫力があるのか。
照れとか緊張とか間違いとかいう類の言葉は
どこにも見え隠れしていない。
見ている人の心を突き刺す演技。
そして突き刺した後、
どれくらい心から血が噴き出したか、
その量をあとで楽屋で測るのだろう。
リアルに飢えた狼のような演技。
本物だった。
すっかり現実感を喪失したまま私達は
芝居が終わってもボーっとしていた。
劇場を後にした。
由紀ちゃんも何もしゃべらなかった。
そのまま帰りに食事をした。
フランス料理と京都の懐石料理の間を取って
スパゲティー屋さんにした。
メニューのビールが美味そうだ。
お芝居の感想を話し合う。
これがふたりで行く最も有意義な時間だ。
「お芝居って何か見てるこっちが
ちょっと恥ずかしい感じがしそうな気がしてたけど
今回のは全然そんなことなかったよね。
熱い想いがすごく伝わってきた感じしたよね。」
「いや本当、すっごいアツかった!もう俺めっちゃ睨まれてたもん。」
「お芝居をずっとやっていくっていうお芝居だもんね。きっとすごいリアルな気持ちなんだろうな。そりゃ気持ち入るよね。」
「そうか、なるほどね。」
私は口をもぐもぐさせながら続けた。
「じゃあさ、歌も『歌を歌い続ける為の歌を歌う人を歌った歌』
みたいなのがいいのかもしれないな。リアルに心から叫べる。」
「うん!いいんじゃん!そういう歌作ったらいいんじゃない真田くん。」
「そうするわ。先にデビューすることになりそうや。すまん。」
「いや、私ももう小説書きかけてるから。恥ずかしいから絶対読ませらんないけど。」
「そ、それは読んでみたいなー。その小説のテーマソングも作るわ。」
「やったー!ぜひお願いします!」
「小説が映画化されたら絶対、音楽要るもんな。」
「ほんとだね。」
歌は何にでも必要だ。
人はなぜ歌うのだろう。
人はなぜ絵を描くのだろう。
人はなぜ物語を言葉にして書くのだろう。
芝居をする。話をする。笑わせる。
なぜ生きていくのには必要のないものを
追い求めてしまうのだろう。
由紀ちゃんが水を一口、
なめらかなグラスの薄い縁に
ちょっとだけ口を付けて飲んでから言った。
「なんで芸術ってあるんだろうね?無くても生きていけるのにね。いや、あったほうがいいんだけどさ。」
同じことを考えていたようだ。
なんてアーティスティックな時間なんだ。
有意義すぎる。
なんで今までもっとこんな時間を増やさなかったのか
後悔した。どうやら私は一人で遊びすぎたようだ。
「そうだ真田くん・・・お店辞めちゃうんだって?」
ブーーーーッ!!
飲んでたビールを吹き出してしまった。
「めっちゃ飛んできたぁ。」
「ご、ごめん!そんなにサラッと言われるとは・・・この白い分厚い布で拭いて・・・何この布?そんなんどうでもいいか。いや、しかし、そ、そうか。し、知ってましたか・・・」
「うん。優子さんから聞いたよ。たぶん、もうみんな知ってると思うよ。」
そうか。みんな知ってるのか。
でもまだ誰もその話は直接私にして来ないな。
優しいやつばかりだ。
「辞めて何するの?」
そうか。そこまでは誰も知らないのか。
隠すことではないけど話していなかったカナダ行きを
初めて話すのは由紀ちゃんになった。
「話長くなりそうやから、ここ出てから話そうか?」
「うん。」
お会計を済ませて外に出てから改めて
辞める理由を話した。
「実はカナダに行くことになって・・」
「どこ?金田?カナダ?カネダ?もしかして、あの外国のカナダ?」
「そうそう。あの外国のカナダ。」
「えー!すごい!いいなー!あれ?フランス近いんじゃない?」
「うん。そう言えば半分フランス語圏って書いてたな。ヨーロッパよりの方はフランス人多めなんかな。由紀ちゃんも絶対フランスに行くべきやって。ほんで俺はカナダから、由紀ちゃんはフランスから。だから、そやなー、えーっと、アイスランドくらいで待ち合わせしようか。」
「すごいね。なんか、『世界』だね。うん。そうかー。本当に行くのかぁ。すごいね真田くん。私も早く行きたいなぁ。早く行きたいんだけど・・・でも現実感ないなー。ひとりで行くのも勇気いるし、お金も貯めないといけないし、そうだなー、あと2,3年後かな?真田くんと一緒に行きたいなぁ。」
私は常磐木氏と二人で行く事と、
すぐ寮に入れる仕事が内定しているから
あまりお金を貯めなくても行けることは
黙っておいたほうが良いような気がした。
「真田くん居なくなっちゃうのか。えー。早いなー。やだなー。もうあと3ヶ月くらいしかないんじゃない?」
「え、まじ?」
ここにきて浮き足立った私の心は
由紀ちゃんとの別れよりもお金への心配でざわついた。
「もっといろんな所、一緒に行こうと思ってたのになー!嫌だなー!もっといろんな事したかったな真田くんと。」
「え?」
少し告白やその先を期待する私。
「だって、まだ全然どこにも行ってなくない?東京見物すらしてないよ。」
「そういえばそうやなぁ。」
「東京タワーとか。見に行った?真田くん」
「いえ、行ってません。向かってもいません。」
「浅草は?アメ横は?皇居とか国会議事堂とか?」
「し、シブいね。場所の選択が。」
「えっ?あ!やだ。原宿とか渋谷とか?」
「んー。人混みは苦手やからやっぱり国会議事堂を遠くから眺めるツアーにするわ。」
「私もー。」
「みんなで海に行ったじゃないですか!あれはかなり濃かったね俺には。」
「楽しかったねー、海🏖」
「俺はもうすでに出来てるものよりも、まだ存在していないものを追い求める運命にあるのです。」
「何言ってるのか分からないけど、真田くん居ないと、つまんないなー。来年どうしよっかなぁ。」
「どうするって、まさか、由紀ちゃんも?」
「いや、辞めないけど・・・。ねえ真田くん。1年くらいしたら帰って来るの?」
「いや、んーっと、どうでしょ?ビザは1年間しかないから帰って来なあかんかも知れんねんけど・・・」
「けど?」
「もし働いた場所で上手く気に入られたら、社長さんがビザの延長をしてくれるらしいねん。でももし延長してもらえなくても・・・なんとかかんとかして、どっかに潜り込んででも・・・トイレにずっと隠れてでもカナダに居続けてやろうかなって・・・今は思ってる。」
「へぇー!そうかぁ。そうだよねー。折角行ったんだもんね。永住するつもりなのかー。真田くん。」
「うん。そう。そんでいつか英語で歌作って歌えたらなぁと。」
「あ、いいじゃん!真田くんなら出来るよ。そうかぁ。もう帰って来ないのっ・・・かぁぁ〜・・・」
ちょっと涙声になったと思ったら
向こうを向いてしまった由紀ちゃん。
背中が丸い。
私はどうしたらいいのか分からなくなった。
由紀ちゃんのことが心の底から愛おしくて
たまらなかったら後ろからギュッと抱き込めて
こう言うだろう。
『泣かないでおくれ。向こうの生活が落ち着いたら手紙を書くよ。一人前になったら由紀ちゃんを迎えに来るつもりだ。一緒にカナダに住んでくれるかい?』
『さ、真田くんホント!』
『本当さ。指切りしようか。』
『うん!』
『ゆびきりげんまん!嘘ついたら北アメリカ大陸丸ごと飲ぉ〜ますっ!指切ったぁ!』
また頭の中だけで一人で盛り上がってしまった。
そんな想いを行動に移せないまま
由紀ちゃんの背中をただただ見ている。
この由紀ちゃんの背中は・・・
なんだろう?
私を待っているのだろうか?
こんなちっぽけな私を。
私は・・・
私は由紀ちゃんのことが・・・
心の底から・・・
愛おしくないのかもしれない。
どうなんだろう。
・・・・・・・・。
耳を澄ませてみたけど、
どうやらそのようだ。
悲しい。
残念だ。
愛おしいのに抱きしめられない気持ちと、
今この抱き込められない気持ちは明らかに違うものだ。
私に無情が襲いかかる。
二人の素敵な時間より
一人の妄想の時間の方が
私には愛おしいのだ。
自分の冷たい心に絶望感を覚えた。
打算しすぎている頭の中。
凍りついたままの心。
私が涙するのは相手の為ではない。
自分の為だ。
私が心の底から愛おしかった初恋の女の子。
運命の人。
あの子以外の女の子は
あの子を忘れる為の女の子。
だからあの子以外で私の心が溶けることは、
もうないだろう。
だから私は冷静に打算することが出来る。
そんな自分に絶望する。
もう心がドロドロになってしまうような恋は
二度と出来ないのだろう。
私はずっと一生、
一人で居るべきなのだ。
こうして誰かと居ても
無意識で【あの子】と比べている自分が居る。
いや、あの子と比べてるんじゃない。
あの子と居た自分と今の自分を比べて
勝手に一人で悲しんでいるんだ。
全部自分の事。
全部自分一人。
こんな私と一緒に居続けるなんて
相手の女性に失礼である。
私はずっと一人で居る方がいいのだ。
地球という独房に。
でも・・・
でも・・・
でも、自分の血を分けた子供の顔は
見てみたいという気持ちがある。
最低だな。
こんなこと決して誰にも話せない。
あー。
なんか虚しくなってきた。
私には演技で、ただのお芝居のつもりで以って
私を待っている由紀ちゃんの背中を
ギュッと抱き込めて約束の言葉を交わす
なんてことは、
出来そうになかった。
芝居のプロでない私の、
舞台の下の舞台の幕は上がらなかった。
そうだ。
もう、このままお店の全員に嫌われて
大野みたいに去って行こうか。
大野みたいにオレンジ色の夕陽に包まれて。
いや真似ては癪だからレモン色の朝陽にするとしよう。
「手紙、、、書くね。」
かすれた声で
由紀ちゃんは諦めたように言った。
長かった沈黙を破ってくれた。
卑怯者の大根役者の芝居は
ここからだ。
ここからなら出来るぞ!
出番だ!いけ!真田丸!
「落ち着いたら俺から手紙書くから。その手紙の住所に返事書いて。楽しみにしてるわ。どんな後輩が来たか教えてな。楽しみやな。」
ダメだった・・・
下手すぎる!
やっぱり冷たすぎる!
後輩なんかどうでもいいじゃないか!
この大根役者の真田丸め!
「うん!ありがとう!もしお金貯まったらカナダに真田くんに会いに行くよ!それから、それからね、二人でフランスに旅行に行こうよ!ね!絶対、手紙ちょうだいね!」
ありゃりゃー。
由紀ちゃんの目が星のように瞬いている。
さっきの涙目が輝くから余計に光って見える。
純粋すぎるこの子に私はなんで気に入られたんだろうか。
虚しいけど、まっいっか。
これでいいだろう。
手紙なら書けそうだ。
その約束なら果たせそうだ。
その先は流れに任せよう。
涙目で笑顔の由紀ちゃんが私に一歩近付いてきた。
私は一歩後ろに下がった。
責任なんて取れないから
手を出してはいけないと頭が考えた。
もし責任が取れても手を出す勇気もないくせに。
結局私たちはお互いの指一本触れることなく
次の約束だけをした。
由紀ちゃんは自分の涙を自分で拭いた。
こうして
18歳と20歳のアーティストは
神楽坂の石畳に鳴り響くブーツの足音だけを
耳に残してお互いの四畳半の部屋に戻った。
あと数時間で新聞配達員に戻る、そのために。
〜つづく〜
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真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。
いただいたサポートで缶ビールを買って飲みます! そして! その缶ビールを飲んでいる私の写真をセルフで撮影し それを返礼品として贈呈致します。 先に言います!ありがとうございます! 美味しかったです!ゲップ!