7月のこと
足元に脱がれていたセミの抜け殻に、さすが7月、と喜んだ。
最近は早番が多い。
「閉館まであと42日」の表示をなんとなく通り過ぎ、鍵を開ける。まだ誰も出勤していない。
棚を拭き、ガラスと鏡を拭き、掃除機をかけて、神棚の恵比寿様の水を替える。
手を合わせる。
今日も売れますように。
ひどいときは、何か、売れますように、と思う。
何かしら考えたり、音楽を聴いたりしながら、のんびり過ごす開店前のこの時間が私にとっての価値のある時間だと気付いたのは最近だった。
初対面の人に「ひとりの時間の過ごし方」について質問をされたとき、思い浮かばず、この朝の店舗掃除の時間を思って「掃除をしています。」と答えた。
間違いではない、きっとそうだ。
結婚前は家族と住んでいて、お話好きの母は隙あらば話しかけてきていたし、結婚してから住んでいるのは広いワンルームで、夫は三面のディスプレイの光る文字を目に映しながら朝から晩までそこにいる。
ひとりの場所、精神的にひとりになれる状況などもはや無いと思っていたから、とっさに浮かんだ開店前の掃除時間。
誰かが出勤してくる前の40分ほどは、「ひとりの時間」そのものであると認めた。
掃除をしていると気付くこともある。
棚の角の色剥げ、ハンガーラックの傷、レジ台にあるカッターの線、そのどれもが毎日の証だと感じる。
何度も誰かの足がひっかかり、何度も乱暴にガシャンとハンガーをかけられ、お客様が来なくて気を失いそうなスタッフの内職に何度も付き合わされ、この場所が年を重ねたということ。
毎日の積み重ねで、この場所が疲れているのが見える。
たまにいらっしゃるお客様にはなかなかそうは見えないだろう。
みなさん口を揃えて、まだこんなに綺麗なのに、と言う。
このビルの腹の中にいると、無理に壊す必要はなさそうだけれど年相応だ、と頷く。
掃除をする。
まだ冷房の効き始めない店内、青葉市子の「レースのむこう」を、口の中だけで歌いながら掃除機をかける。
私の「ひとりの時間」は吸収され、そして壊される。
今日はここにセミの抜け殻をひとつ置いておく。
1週間後には無いかもしれない命が、世に放たれた跡。
42日後には終わりを迎える店。
ここにあるものの形はどこにいくのだろう。
これはめぐりめぐる7月のこと。
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