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私と外国(好きなもの9)

外国のことを知るのが好き。
きまぐれに海外の世界遺産を調べるのが好き。
真剣に覚えようと思いつつ、途中で飽きるけど語学講座のテレビをぼーっと見るのが好き。

と言いつつも、私が行ったことがあるのは韓国とスペインと香港だけだ。

本当はもっと色々な国に行ってみたいけどひとり旅は怖いなと思っているうちに、なかなか海外旅行にいけない世の中になってしまった。

スペインに行ったのはまだ大学生のとき。

大学4年の1月。まわりではどんどん就職先が決まっていくなか、私はまだ一社も受かっていない、絵にかいたようながけっぷち就活生だった。インターンシップにも参加したし、たくさん講義も受けた。直せるところは直そうと努力したが、面接のあの空気がだめだった。

面接も落ちまくってつらい。もう今できることをやるしかない、そうだ、外国に行こう。
いつかは行こうと思っていたスペインのツアーに一人で申し込んだ。ガウディの建築が見たかったから。
しかもそれまで韓国にしか行ったことがなかったのに、突然のひとりスペイン(ただしツアー)
第二外は一応スペイン語だったけど、多すぎる動詞の変化についていけずあまり真面目に取り組めなかったので、あいさつぐらいしかわからない。スペイン語の先生に相談すると、オラ!(こんにちは)と、ポルファボール!(please的なやつ)があればどうにでもなるから大丈夫、などと言う。

(そのせいで今も私が覚えている言葉はオラ!ウナセルベサ、ポルファボール(こんにちは、ビールください)ぐらいである)

2月の終わりごろだった。巨大なスーツケースを転がして空港に行くまでが多分一番不安だった。

結果的に、ひとりでもそれはもうめちゃくちゃ楽しかった。
同じツアーの人たちが話しかけてくれるし、昼間からワインやシャンパンを飲んで移動中のバスで寝て、着いたら観光地、夜ご飯にまたお酒を飲んでおしゃべり、みたいな、ゆるすぎる暮らしを楽しむこと一週間。
夢のような時間だった。

移動中はずっとその時はまっていた、グラナドスを聴いていた(今考えればファリャやアルベニスも聴くべきだった)
私、今スペインで『アンダルーサ』聴いてるぜーーー!本場グラナドスだーーー!と脳内小躍りしたり、夜になったら『嘆き、またはマハと夜鶯』を聴いて航海中に死んでしまったグラナドスに思いを馳せたりした。

サグラダファミリアも、グエル公園も、アルハンブラ宮殿も本当に美しくて圧倒されたけど、街を歩くのも楽しかった。

 
自由時間に、街を歩きながら、スタバで買った激甘の名物ホットチョコレートを飲む。甘い甘いと聞いていたが、本当にこれは何が入っているのだろうっていうぐらい甘かった。
幼稚園ぐらいの子供たちが、先生に連れられてお散歩をしている。たくさん子供がいるのに黒い服の子供がひとりもいない、リアルZARAKIDSだ、なんて、どうでもいいことを考える。

なんのポスターか全くわからないけど、可愛いから写真を撮っておこう。
チャーリーとチョコレート工場に出てくるようなカラフルが過ぎるショーウインドウのお菓子屋さん。
ベランダから街を眺めるおじさんと、いかにも海外の犬らしい犬がこちらを見ている。
浮かれた外国人が写真を撮ってると思われてるんだろうな、と妄想しながらこっそりおじさんと犬の姿も切り取っておさめた。

スーパーに入って、並べられた豚を眺めながら、おいしいかわからないビールとナッツを買って、部屋に帰って飲む。旅行中何本か試してみたけど、タイのなんとかっていうビールの方が好きだった。テレビをつけるとスペイン語のクレヨンしんちゃんが放送されている。下ネタは世界を救うなぁ、と思いながらナッツをかじる。

あれ、私こんなんで大丈夫だろうか、急に不安になる。

何日目かの昼過ぎ、ドン・キホーテに出てくるんだか、セルバンテスにゆかりがあるんだかよく覚えていないけど、どこかの小高い丘に行った。多少セルバンテスやドン・キホーテについて調べておけばよかった。当時はガラケーだから、Wi-Fiもない。今ならカフェに入れば簡単には調べられるのに。

たいして期待せずにバスを降りたら、そこにはなんにもなかった。

360度、なんにもなかった。ただ、空と大地が見渡す限り続いていた。
空、大地、空、大地、空、大地。
視界を遮るものが、ここまで何もない風景を私はその時生まれて初めて見た。自然と涙が出てきた。

私、今、スペインにいるんだ。大学まで行かせてもらったのに、就職先決まっていないくせに、スペインにいるんだ。3月の卒業式までに決まらなかったらどうしよう、4月から私の肩書きはどうなるんだろう、とか、そんなこと、なんかもうどうでもいいや。私はどうにでもなるだろう。
今こんなすごいものを、生きて、みているのだから。
と思える、そんな景色だった。

スペインから帰ったあと、数日後には卒業旅行で沖縄に飛び、家族と京都に行き、卒業式を迎えた。そうして、いよいよ3月も終わろうかというころ、どうにか就職先が決まったのだった。

今でも時々、膨大な思い出の写真とパンフレットやチケットなどを眺めることがある。春から無職かもしれない危機感の中にいる人間とは到底思えない笑顔の私を見ると、あのとき思いきっていい選択をしたぞ、と改めて思うのだった。

くらいのパトロンになりたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。その際には気合いで一日に二回更新します。