ギルバートグレイプとエヴァ
社会的な問題よりも、ひとりの個人の悩みに焦点を当てている作品が好きだ。
何かしらの問題提起系や、みんなで解決に向かうチーム系の物語も嫌いではない。
少し前だが『パラサイト 』のように社会的な問題を含みつつ、終盤はやり過ぎた地獄絵図のように撮っていて、一体これはジャンルは何なんだ?と思う作品も好きだ。(未だにパラサイトのジャンルがわからない、強いて言えばサスペンス?)
タイトルの
『ギルバートグレイプ』と『エヴァ』
どちらも大好き。
ギルバートグレイプと碇シンジが置かれている状況は全く違う。
シンジの背負わされたものは(まあ背負うことを決めたのは彼だけど)宇宙規模だし、かたやアメリカの片田舎に住む青年。
それでもこの二つの作品には、息のつまるような空気が漂っている。
ネタバレほぼなし『ギルバートグレイプ』のあらすじ
主人公のギルバート(ジョニー・デップ)はアメリカの田舎で自閉症の弟(レオナルド・ディカプリオ)の世話をしながら、スーパーで働く青年。弟以外に、ある理由で規格外に太っていて働けない母や、兄弟と暮らしている。
町の鉄塔に登ってはいけないと注意され続けるが登り続ける弟と、家から一歩も出ることができないほど太ってしまった母。そんな家族がしがらみとなって、ギルバートはどこにも行くことができない。
途中、弟に当たってしまうシーンは見ていて本当に息が苦しくなった。決して嫌いではないが、弟と意思疏通がうまくいかずどう接していいのかわからないという辛さ、でもギルバートは「どうして自分だけがこんな目に合うのだろう」などとは言わない。
ここでしか生きられないという世界に感じている窮屈さ。それでも、ただ淡々と耐えている。このジョニー・デップの演技が秀逸で、なんとも言いがたい寂しげな目をする。
最終的な解決策も広大なアメリカの田舎ならではの、思わず「そう来たか!」と言いたくなる前向きなラストとなっている。
エヴァの碇シンジ
エヴァに関してはもうあらすじは割愛。
シンジは、もともとエヴァに乗って使徒と戦いたくはなかった。物語の序盤では、ミサトの家を出て、一度はエヴァのパイロットから外れようとするシーンもある。
(ミサトが駅に駆けつけて電車が過ぎ去ったあとにシンジがベンチに座っててヒグラシが鳴いている一連の流れ、リアルタイムで見ていたかったな。アニメなのに映画。)
エヴァに乗って得体の知れないものと戦うのは怖い、でも乗らないとたくさんの人が犠牲になるかもしれない。父である碇ゲンドウは自分にエヴァに乗ってほしいと思っている。父には好かれたい、でも怖い。
同じくパイロットの綾波は怪我をしてぼろぼろなのにも関わらず、それでも乗る、と言う。自分もいつか大怪我を負うか、下手すれば死んでしまうかもしれない。
エヴァに乗るのか、乗らないのか。14歳に迫るにはあまりにも難しい選択。
一話ではあの有名な逃げちゃ駄目だという台詞が出てくる。自分自身から、父から、エヴァから?
最終的に、彼は自分の意思でエヴァに乗るために戻ってくる。
(そしてこのもろもろの決断が、長い年月を経て、新エヴァで君はそれでよかったんだよ、君の行動が今に繋がるんだよと肯定されたような気がして本当によかった)
個人の持つ悩みを描く
それは地球の歴史からすれば、当然、とるにたらないもので、でもその瞬間、作品の中で壁にぶちあたっているキャラクターにとっては一大事である。
もちろん世の中には悩むシーンがある映画はたくさんあるが、個人的な葛藤をしっかりと描いている、むしろ描きすぎて閉塞感すらあるような作品に惹かれる。
誰だって、ひとつやふたつ、どうにもならないなにかを抱えているわけで、それでも強く生きていこうとする姿を作品を通して見たいのかもしれない。
閉塞系映画鑑賞会したいな。
くらいのパトロンになりたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。その際には気合いで一日に二回更新します。