他界した父との思い出の場所について、皆さんに聞きたい事!
病状と経緯
僕の父は、2021年11月に中咽頭がんと宣告されました。
レベル4です。
治療法は、高齢なので手術も抗がん剤も出来ないと言われました。
唯一出来るのが放射線治療です。
完治することはないと言われましたが、父と相談しやってみようと
2人で考えました。
年明けの1月から放射線を行いましたが、3〜4回ぐらい自力で通ってきましたが
歩行がままならなくなり、僕が車で送って行くことになりました。
父の容姿は、数ヶ月前とは別人になり「骨」です。
体重は、28キロです。
電話での会話や目の前での会話も難しくなってきました。
入院しながら、放射線を行い歩行の練習なども行っていたそうです。
コロナで、病棟へは行けず、病院からの連絡を待つしか名ありませんでした。
約1ヶ月半ぶりに僕は、父の顔を見ました。
以前よりも、ふっくらとして、杖なしで歩くこともできました。
僕は、ものすごく嬉しかったのを覚えています。
家に帰り、久しぶりの自宅へ帰りこれからは、たくさん飯食いながら、
少しづつ運動しようねなんて事を話しながら、流動食の準備をしました。
しばらくして、3/16の日でした。
違う記事でも上げましたが、僕は午前中大腸がん検査だったのです。
なので父に「明日、自分の病院行ってくるからここにくるのは午後になるから」と告げました。
父は「わかった、よろしく頼むな!後、豆腐買ってきてくれ!」といつもの注文を言って、
それが最後の会話になりました。
僕は、大腸がん検査へ行った後、お昼を食べて、スーパーへ行って豆腐を買っていきました。
父宅の家の鍵を開け、「来たよー」と大きめに声を発しました。
返答がなかったので、奥へ進むとトイレのドアが開いていました。
そこに、便器に座り込むように倒れていたのです。
びっくりして、起き上げようとしても体が冷たく脈もなかったのです。
他界するまでに、こんなことがありました。
思い出の地
ある程度事務処理も終わって、落ち着いた頃、ふと、少し昔の思い出が頭の中
によぎってきました。
それは、僕の子供と3人での思い出の地です。
・スーパー(サミット)
・近くのお風呂屋
・江戸川河川敷
この3点が、強く思い出に残ってます。
スーパー(サミット)
ここは、僕の子供が小さい頃、父親宅へ行くといつもスーパーへ行って
お菓子を買ってもらった記憶があるからです。
側から見ると、「そんなこと?」と思う人いるかもしれません。
でも、僕は、鮮明に覚えてるのです。
僕の子供が、いつまでも決めかねてると、「早く、しないとおうち帰っちゃうよ!」なんてことを言ったりして、「じぃじ」を困らせていました。
あの時の場所や配置はあまり変わっていません。
近くのお風呂屋
父が亡くなる2週間ぐらい前、僕と子供と父で「お風呂屋さん」にいきました。
ちょうどアパートのお風呂が壊れていて、お風呂に入りたいと父が言ってたもので3人で行ったんです。
普通に誰の手も使わず、お風呂に入ることができました。
過去にも3人で入っていたので、印象が強くなり思い出の地になりました。
亡くなった後のことですが、父の手帳に 「◯月◯日 今日は、3人で銭湯へ行った・・・さっぱりした」
と書いてありました。
江戸川河川敷
ここは、僕が小さい時からの思い出の地です。
父が休みになると、「江戸川で野球やろうか?」と言われ、よく連れて行ってもらいました。
そして、孫の代まで、江戸川で野球をしたのを覚えてます。
あの頃が本当に平和でした、親子3代で〇〇をするって本当に幸せな事ですし、一生に残る
宝物です。
僕の子供も最近「じぃじともっと遊びたかった」と言ってました。
ここからが、皆さんへの質問です。
僕は、上記3点の場所へ行くと、懐かしと思うよりも悲しく、寂しく近くに行きたくないと
思うようになりました。
温かみのある思い出なんですが、どうしても心が拒否したくなるのです。
この先もこんな思いのままなのか?時間が解決するのか?
僕にはわかりません。
ちなみに、父が亡くなってからちょうど1ヶ月が経ちました。
もしよかったらでいいので、コメントくれたら嬉しいです。
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