こうして愛は循環する ①
こんにちは。
まだやる気が続いています。
やる気があるうちに書きたいことから書いておこう。
ヒーリングスクールの卒業式は、11月に東京で4日間のスクーリングの最終日に行われました。
私たち4年生のクラスでは、担任のアメリカ人の先生が学生生活最後のスクーリングとなるこの週にとても興味深い企画を提案してくれました。
それは、「Give away」というネイティブアメリカンの方々に伝わる儀式です。
この儀式は、まず4年生の生徒と先生それぞれが自分の「手放すのが惜しい、とても大切なもの」を1つずつ用意して、対面クラスの教室に持っていきます。
クラスウィークの間4年生の教室の祭壇にみんなの大切なものを飾っておき、卒業式の日にそれぞれの持ち寄った大切なものたちを、他のクラスメイトや先生にプレゼントする、というものでした。
贈り物といっても、贈り物をする側は贈る相手を選ぶことができません。
どれが誰のものなのか、中身もわからなようにしてあるので、順番に直感で「これ!」と思うものを選んでいく形で贈り物を受け取ります。
大切なものを手放して他の誰かに譲ることで、今の自分に必要な新しい大切なものをまた受け取る、という感じのお話を先生からお聞きしたと思います。
それが手放しがたいものであればあるほど素晴らしい体験になるということもおっしゃっていたのだけど、先生の言葉をそのまま思い出せないのがもどかしい…!!
自分が手放したものは必ずそれを必要としている人のもとに行くし、自分のところにも必ず今必要なものがきてくれるのだそうです。
神聖な儀式なのにこんなことを思うのもなんですけど、私はそのお話を聞いた時に、クリスマスがそう遠くない時期だったこともあり、クラスのみんなでプレゼント交換をするみたいでわくわくしていました。
宿題や各種イベントの準備と並行して、私が手放すことに抵抗を感じる大切なものを用意しようとしたのですが。
私の手放せないものってなんだ…!!?
いざ考え始めると全然思い浮かびません。
すぐ決まると思ってたのに、思いのほか難航。
おばあちゃんの形見の腕時計…重すぎ?
推しのお誕生日限定写真集…そういうことじゃない?
どれも大切なものではあるんだけど、
今回のクラスに持っていくものって思うとなんか違うな。
どうにもこうにもしっくりこないなぁともやもやしていたとき、
ふと、あるものに目が留まりました。
つづきます。