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この世で最も怖いもの

昨日の日本シリーズは予測していた展開になってしまいましたね。圧倒的に実力差がありましたし、何よりジャイアンツが弱いとかではなくて、セリーグが弱いのが原因な気がしましたけどね。昨日あんなにボコボコにやられていたジャイアンツですがセリーグでは圧倒的な強さを誇っていました。なのでジャイアンツの捕手の大城選手は今シーズンに限っては、対格上の相手の戦いに慣れていなかった気を感じました。特に配球に関しては甲斐選手と大城選手の間には大きな溝がありましたね。

野球の話はここら辺にして。という事で本日の記事のテーマは


”この世で最も怖いもの”


みなさんは何を思い浮かべますか?

オバケ?幽霊?殺人鬼?はたまた上司?奥さん?笑


人によって怖い人や怖い事柄は違いますよね。

例えば、僕は高いところが怖いですし、絶叫マシーンが怖いです。

オバケは怖くないけど、驚かされるのはめちゃめちゃ嫌いなんですよね。

と言ったように人によって怖いなと感じる事には必ず個人差があると思います。

ですが

今回僕が記事にする”最も怖い”とは全ての人に共通です。なにも、破産が怖いとか、離婚が怖いとか、出産が怖いとかを言いたいわけではありません。


僕が言いたいのは

”なにが最も怖い事なのかという事です”


とは言ってもどんぐりの背比べしたいわけじゃなくて。おそらく僕が今回記事にする内容は誰しもが経験し、恐怖しているにもかかわらず。自覚がない事です。


ここまでの内容。全く意味わからないですよね。笑

ですが、是非最後まで見てみてください。ゾクゾクするほどの恐怖にかられますから。笑





話は変わりますが、皆さんが日々過ごしている。

何でもない一日を想像してみてください。


朝起きて、電車に乗って、とか。なんて事のない1日を。


次に最悪な1日を想像してみてください。


朝寝坊して、遅刻して、怒られたり、減給されたり、クビになったり…。 この時実際に自分に起こった事を想像した方がいいです。


それでは最後に最高な1日を想像してみてください。


恋人ができた時や、誰かに褒められた時、給料日など。






想像できましたでしょうか。


次に、今想像した3つの1日を過ごした数日前を想像してみてください。




恐らくですが、幸せな1日があった数日前って、何でもない日が数日続いていたんじゃないですか?さらに深掘りすると、恐らくそのもっと前は最悪な日があったんじゃないですか?


続いて、何でもない日はその数日前に最悪な日を過ごしていたんじゃないですか?

これと同じで、最悪な日の数日前は何でもない日が続いていたと思いますが、そのもっと前はいい日を過ごしていたと思います。


このように、宗教的な事をいうよですが、こんな感じの周期で出来事は起こっていると思います。

これは神だ仏だと言いたいわけじゃなくて、冷静に分析すると必然的になるもんだと思いませんか?

いい日が数日続いたとして、そのいい日が数日続くとその”いい日は”何でもない日と解釈して過ごすようになるんんです。

そして、いい日が終わって元の何でもない日の事を、最悪な日と呼ぶようになるんです。このサイクルがひたすら続いていくんです。

要するに、いい日も悪い日も何でもない日も全て自分が決めているという事に気づけると思います。


つまり、その起こった出来事はコントロールできませんので、せめて自分で工夫すればどんなに何でもない日も最高の日にすることは可能です。


『おいおい。これが怖いのと何の関係があるんだ?』


と、思ったと思います。


話はここからです。

今書いた内容は、普段の1日が気持ちや考え方一つで変えられるよって話で。これから話す本題は何をしても抗えないよって事です。



結論から話すと


”なんでもない日”です。


何の警戒もしない、最も平穏で穏やかな1日、可もなく不可もなく。この日が最も怖いと僕は考えます。

一般的には、逆な発想だと思いますが、何もないいわゆる無難な日々というのは圧倒的に怖いです。何故なら何もない何も感じない日というのは、人間としては生きていないからです。

人間は、考える事のできる生き物で、考える事で、人間は自分を知りより合理的で最高な日々を過ごそうと思うものです。

なので何でもない日というのは訪れないはずなんです。


何で、本来何でもない日は訪れないかというのを説明するとこの記事終わらないので結論からいうと。

何でもない日は他人に支配された日々という事です。

他人に支配される日々が多ければ多いほど、人間はどんどん弱く孤独に惨めになっていきます。わかりやすくいうと、動物園で飼育されたライオンは自ら餌を取りにいきません。そして飼育員の采配一つで生死を決定される。

これは人間でも一緒で、この何でもない日があればあるほど人は弱くなり何も考えなくなり、何もがんばれなくなって何もしたくなくなるのです。

それでも最悪な日を過ごすよりいいと感じるかもしれませんが、最悪な日というのは今後その人がより幸せに最高な日々を過ごすために超えなきゃならないハードルなのです。そう考えるとしんどいけどラッキーですよね。だって最悪な日だって当たり前に起きるわけじゃないですから。

要するに、何もない日は怖くないから怖いという事でした。


知らず知らずのうちに、どんどんマイナス状況に陥っているんです。

フォアグラ用のアヒルのように。知らず知らずのうちに太りその結果利用され捨てられる運命。

怖くない無難な日々こそ最も怖い。

それは何故か、怖くないから。怖くないのに不運に陥っているからです。



それでは最後に、


災難・困難など

この言葉はどっからどうみても不運な日々ですよね。

この”難”という言葉は不運な事柄が起こった場合に必ずつく言葉ですよね。


でも昔の人は、”難”がある事を”有る”事を


”有難い”(ありがたい)


と言っていたんです。


逆に、難がない事を、


”無難”


と呼ぶんです。


難が有る事で人はまた強くなる。



以上です


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