生きる「ため」に働くのか、生きている「から」働くのか。
#自己実現で「ディアる」
「すきなことで飯を食う」は夢物語か?
30代の頃から
「すきめし」=すきなことで飯を食う を信条に働いてきた。
すき といっても、業界や職種などの好みで
会社や仕事を選ぶというわけではない。
その働き方をしたときに
自分の気持ちが「前向きになれるか?」が基準だ。
たとえば
新しいクライアント候補と出会ったときも
「この人たちと一緒なら楽しいかな?」
「この会社と組むことで、好きなことに手が届くチャンスが膨らむかも」
といった気持ちで、お取引するかどうかを考えた。
それまでに、まったくやったことがない業務でも
できるか、できないか というよりも
やりたいか、やりたくないか。やってみたいとワクワクするか?
を大切にして決断した。
そんなエピソードを話すと、
会社勤めが当り前というタイプの人たちから
「いいですね~ こっちは、食うために必死で働いているんですよ」
と、うっすら責めるようなニュアンスで言われることがある。
いやいやいやいや・・・
私だって、基本的には食うために働いている。
でも、わざわざ、そういう言い方をしないだけだ。
だって「ため」というのは
原因や理由をあらわす言葉だから
「ため」と言ってしまうと、
食うこと・生きること=生活・お金
を鼻先にぶら下げられて競走馬のように働く感じがする。
それじゃ、モチベーションがダダ下がりではないかっ。
「ため」と言ってしまうと、
犠牲感やら義務感みたいなものが、もれなく付いてきて
(自分で選んだ仕事だったはずなのに)
誰かにやらされているような気分になってしまうじゃないかっ。
言葉を選んで自分を励ましている。
文字の並びにしたら、そんなに違わないけど、
生きている「から」働く
にかえると、自分の中の優先順位が変わって
ラッキーなことに、今日も元気に生きていられたおかげで
好きな仲間と楽しい仕事ができて、
誰かの役にたっているかもしれない!
と考えられるような気がするのだ。
たった二文字だけど、
たとえ誰も聞いていないとしても、
自分で自分を鼓舞でくるのなら
生きていく「ため」に働く
ではなく
生きている「から」働く!
と言えるようにしたい。
みなさんも試しに、やってみて。