「身の程知らず」に戻った日
バレリーナになりたかった。
幼い私に両親が贈ってくれたオルゴールを眺めては、白いレースのチュチュをまとって、くるりくるり とまわる姿に憧れていた。
でも
4歳になった私は
幼稚園で”将来の夢”を問われて
『ふつうのおよめさんになること』
と書いたのだ。
「八頭身」なんて言葉は知らなくても
目標とする姿と、現実の自分とに
ギャップがあることは、ちゃんとわかっていたんだと思う。
クラスでひとりだけ、スキップできないような運動神経だったしね。
それにしたって、身の程をわきまえすぎてやしないか?
「K子ちゃんが、『ふつう』と書くのは
お母様が忙しく働きすぎてらっしゃるからでは?」
と先生から責められたと、
母がなんともいえないフクザツな表情でぼやいてたっけ。
その後も、
国民的人気を博した子役の演技に見惚れて
「女優さんってステキ」と思ったものの、
すぐに顔が可愛くないからダメだとあきらめて
「アナウンサーならなれるかな?」と気移りしたり・・・
浮かんでくる憧れを、すぐに自分で打ち消す
「わきまえる女」っぷりを発揮しつづけた。
そうやって現実的な路線を歩んできたのに、
妥協案のはずだった
「ふつうのおよめさん」になることができず
金融機関勤務を経て、フリーランス25年というレアな経歴を手にしている。
おかげで周りからは、
好きなことを好きな人と好きなように
自由に生きているように見られているが、本当にそうだろうか。
経営者や著名人の話を聞き、ときに引き出し、
それを多くの人に伝えるために文を綴る黒子役。
それなりに好奇心は満たされるけれど
そろそろ、「身の程知らず」になって
自分をさらけ出しても、いいのではないだろうか?
自分をわかってもらうために、言葉の力を使ってはどうか?
その日は突然やってきた。
コロナ禍の2020年夏
ゴーストライターの仕事が終わり
閉じ込めていた自我が外に出ようとしたときに
『音声配信』がブームになりつつあることを知る。
たくさんの尊敬すべき「身の程知らず」たちが
自分の声で、自分の言葉を放っていた。
私もやる!
すぐに始めた。
すぐに友人たちにほめられた。
すぐにリスナーさんたちから「いいね!」がもらえた。
「うぬぼれてはいけない」
というアラートが心の中に鳴り響いていたけれど
子どもの頃に、あっさりと夢をあきらめたことを後悔していた私は
いい歳をして、いや、いい歳になったからこそ、
今度は「わきまえない女」になった。
家族への想い、仕事の失敗談、モテない話、エロい妄想、
マニアックな好み、更年期の悩み、お金に目がないことetc.
学生時代の友だちにだって話さなかったようなことでも
どんどん言葉が沸き上がってくる。
誰かに促されて、ではない。
仕事で仕方なく、でもない。
私が、私自身の発した言葉を耳にするたび驚いている。
「あぁ、こんなに話したかったんだなぁ」と。
1年以上続けて、おもしろいことに気がついた。
それをビジネスにつなげようと目論む若い人たちよりも
ずっと自由で子どものように無邪気に声を発している
同世代が多いってこと。
いまや私の中で
「身の程知らず」は
いい歳を重ねてきた大人に対する
最大級の褒め言葉になっている。